ジーコジャパンレポート

2006.6.29 日本を離れる

ドイツW杯を終えて退任した日本代表のジーコ前監督が29日、パリ経由で母国ブラジルへ飛び立った。前日には都内の日本サッカー協会にも挨拶をすませたジーコ監督には日本代表や鹿島のスタッフらも空港に見送りに集まった。多くのファンからも声援を受けて飛行機に乗った。

91年5月にジーコ監督は日本サッカーの発展の為住友金属(鹿島の前身)にやってきた。93年のJリーグ発足に向けてサッカー不毛の地、鹿島にサッカー人気を植え付け、そしてチームを強くした人物であることは言うまでもない。選手として3度のW杯に出場し、母国ブラジルでは誰からも尊敬され慕われる人物ジーコは鹿島だけに至らず、日本代表監督という重責を引き受け日本のサッカー発展のために貢献した。

W杯へ向けたアジアでの戦い。「本大会に出るのは当然」と言うファンの思いを受ける中、決して楽ではないアジア予選。それでも振り返れば1敗のみという成績で本大会行きを決めた。アジア杯(04年夏)では、中国サポーターの大ブーイングを受けながらも優勝した精神力を受け付けたのはジーコ監督だった。そしてチェコ、アイスランド、ハンガリー、ギリシャ、イングランドなど世界の強豪と言われる国々と時には互角以上の戦いを見せてきた。「悔いはない」とジーコ監督本人は言うがW杯本大会で一次リーグ敗退は不本意な結果だったに違いない。だが日本のサッカーの歴史を考えれば「世界のトップとも十分に戦える」と言う自信を確固たるものにしたのはジーコ監督に他ならない。

ただ今回のW杯でも世界のトップに勝ちきるためにはまだ足りないものがある。今回得たものをどれだけ“財産”にしどう生かすかというは今後の日本サッカー界全体が動かなければいけない問題だ。正しい方向に持って行くことが15年間日本のために力を尽くしたジーコ監督への恩返しにもなる。

ジーコ監督は今後はヨーロッパでの監督を希望している。これまでの人生と同じように隠し事をせず確固たる信念を持ちながら夢へ突き進んでいくつもりだ。これが最後の日本ではない。「日本と別れるつもりはない。一時的に離れるが、気持ちはずっとみんなと一緒」。成田空港で残した言葉を信じたい。

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