世界紀行

自由の地・ニューヨーク

いつも休暇でブラジルへ戻るときにはニューヨークを通っていた。あの9月11日までは。日本から帰るときの経由地でついでに観光や買い物をしたものだ。あの出来事以来再度訪れるのには時間がかかった。

実際には私とサンドラがニューヨークを回るのを避けたのはテロ事件だけの理由ではなかった。街のことを話す前に言いたいのは、アメリカでの外国人の入国に大変な不都合を感じていたのだ。いちいち指紋をドキュメントと一緒に記録されなければならず、面倒な手続きが必要だった。それはどこの空港でも単にトランジットで通過する旅客にも同じだった。

このような対応は他の民族にたいする嫌悪感さえ漂っていた。それは私にとってアメリカの地を踏む事を遠ざけるひとつの理由にもなっていた。しかし街はそれとは関係ないことで、私は再び訪れる事になったのは事実。そして結婚29年目を祝うことにした。 

ニューヨークは魅力的な場所でそこに行かなければ理解しがたい。自由の女神はたまたまあそこにあるのではないことを考える。ニューヨークは本当に自由の街だ。通りを歩けば色々な人を見る事が出来る。ラテン系、黒人系、白人、黄色人、ヒッピー、パンクス、カトリック、プロテスタント、労働者、すべてが平和に共存している。 

アメリカ人のライフスタイルは興味をそそられる。ニューヨークという大都会がそれを象徴する。彼らは楽しむことを知っている。そこにブロードウエイと言う通りがあり、世界の有名なものを一箇所に集約したようなエリアである。タイムス・スクエア、年間50本もの演劇を上演する劇場が密集している。 オペラの怪人 や 貧困者達 などのオペラだ。 

これらを見るのには入場券を買うのに大変苦労しなければいけないが、私は幾度かこうした演劇を劇場で見る機会を得ることが出来た。

今回は初めて街の観光をこのコラムのためにすることにした。いつも時間が無くてゆっくり見物も出来ていなかった。車をレンタルして街の有名なポイントを走り回った。そこここで写真に収めながらの約2時間だった。自由の女神だけは近くに行けなかったので、写真もよく取れていない上に天気も曇っていて更に良くなかった。滞在中は凄く寒かった!

車を止めては写真を撮るが、最初の背景にはマンハッタンのコンクリートの森が多く入っている。もっとも有名な世界経済の中心である。次には橋を渡って島に渡りあの世界貿易センタービルが建っていた場所を訪れた。9月11日に崩壊されたビルだ。二つのビルの崩壊で破壊された周りの状況に驚いた。いまだに隣のビルの壁に亀裂が入ったままで残っており、凄さを物語っている。街のシンボルとなっている場所を訪れた;ワールド・トレード・センター跡、ロックフェラー・センター、マジソン・スクエアー・ガーデン、 5 番街(賑わう前の早朝に撮ることが出来た)は有名な店が並ぶことで有名な通り、それにザ・デイ・アフターの撮影で有名な図書館など。それにブロックリン橋も。それが作られた頃はそれまでには無い革命的なつり橋で世論を驚かせた橋である。 

幾つかの章で多種多様共存を話しているが、それをもっとはっきり見る事が出来るのはセントラルパークである。広大な芝生の上でピクニックをしている人。散歩以外に多くの人々は馬車に乗って公園を一周するのを忘れない。写真を撮る!いろいろな人々がいる中で鳥類や小動物もたくさんいるのだ。リスに食べ物を与えることも出来る!セントラルパークが作られたのは 1858 年だった。 

ニューヨークではもうクリスマスの飾りつけが行われていた。ますます綺麗になっていた。そう、入国する時の煩わしさのことを忘れてしまえば、この多種多様共存を示すこの街を訪れて楽しむ価値は十分ある。そして訪れた街の記録が世界紀行を続けるパスポートに残される・・・。 

豆知識: ニューヨークは別名“ビッグ・アップル(大きなりんご)”でも知られる。その由来には3つの説がある。ひとつは 19 世紀にボンドストリートに生まれた売春宿にイブリンという有名な女将がいて、イブと呼ばれていた。聖書にちなんだ禁断の果実のりんごでもあり“りんご”は売春婦の代名詞となった。二つ目は競馬新聞記者がコラムでニューヨーク競馬場をジョッキーの夢と言う意味で使っていたこと。三つ目は伝説で、 1930年代にハーレムを代表するジャズ界でジャズの本場ニューヨークで演奏し成功を収めるという願いが込めて使われていた事。

風景
風景

自由の女神像
自由の女神像

5番街
5番街

世界貿易センタービル跡地
世界貿易センタービル跡地

セントラルパーク
セントラルパーク

サンドラと馬車
サンドラと馬車

ブロックリン橋
ブロックリン橋

図書館
図書館

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