世界紀行

広島:平和を願う街

私はほとんどの場合、このコラムで風景や状況、楽しさなどを紹介する。そこで今回は日本でも特別な街の一つ、広島市を選んだ。数多い美しい街の一つだが、歴史的に悲しく大変意味がある。7月にはキリンカップへの代表の準備合宿で訪れる機会があった。少し余裕を持ってカメラを手に"平和の街"の細かい所を幾つか記録する事が出来た。

                            

広島は人間が作り出した核爆弾という武器の最初の犠牲者となったのだ。それは1945年8月6日の事だった。普段と変りない昼前に突然火の塊が襲い、きのこ雲が巻き上がった。それは第二次世界大戦の終りを告げる一歩だった。現在は国民の尊い努力によって再生され、繁栄のシンボルに変った。しかし、その視界には大変な心の痛みがあった。それから60年経った今でも、爆弾によって滅ぼされた国民の一部が受けた記憶は消える事なく受け継がれている。           

私達が泊まったホテルの部屋は平和公園に面していた。その公園の中央には爆心地のメモリーがある。そこには記念博物館もあり、私は以前に行った事があったが、今回はリカルドとカンタレリが行って見て来た。(写真1と2、博物館は中央の筋状になっている建物)博物館を訪れた後、外に出た時、気持ちが滅入っていて何故人間があのような事が出来たのか想像も出来なかった。 
記録の肖像は余りにも残酷で悲しいものだった。陽性的に考えれば、もしそう言う表現が出来るならば、それは全国民の連帯によって、日本は復興を成し遂げて国内でも有数の美しい一つの街を構築する事が出来た。此処には毎日何百人と言う人々が訪れ、特に学生達が多く、国の歴史を実感している。             

広島以外にも長崎も米国の手によって核爆弾を落とされた事を忘れてはならない。当時米国は戦争を省略し、日本から降伏させるのが目的だったと言う。それにしても戦争だからといってそういう手段を使う理由は無いであろう。あの時、世界で起きた最も大きな悲劇を起こさなければ成らない先立つ根拠など無かった。                                   

被爆後二ヶ月、焼け跡から悲劇のかけらが拾い集められ始めていて、それぞれの場所に記念碑が建てられ、その数は59にものぼり、平和公園の周りに散在している。中心になるのは記念慰霊塔(写真3)でそこでは犠牲者の霊が祀られ祈りが捧げられる。丁度博物館の前に位置している。       

驚異的な爆弾で市街地は壊滅状態になったが、その中で幾つかの建物がほぼ原型を残していた。(写真4)爆発の威力に耐えたのだ。だが、広島城(写真5)は完全に崩壊してしまった。現在あるのは再構築された城である。城で言うと興味深いのは、多くの城は周りを水で囲まれている事だ。(写真6)その時代では安全を考えての事だったのだろうと思うが、今では自然の景観が美しく見える役割をしている事だ。                   

私達は素晴らしいトレーニング場を使えた。公園と体育館などがある所だった。この様な(写真7)場所は市内のいたる所に在る。 

この様に広島は最も訪問を受ける街でもある。そして二つの教訓を受ける:一つは、人間はどんな惨劇に遭ったとしても再起し、それ以上に達成する限りない力と出会う事;二つ目は、1945年に起きた事を二度と繰り返しては成らない事。                       

近い内に、もう一つの世界紀行に行きます。

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