世界紀行

プラハ ー ヨーロッパ文化の首都

4月の末の日本代表ヨーロッパ遠征で、二カ国との親善試合を行いました。その際に、東ヨーロッパの魅力ある人口130万人の都市、プラハを訪れる事が出来ました。1989年まではチェコスロヴァキアと呼ばれていたチェコ共和国に、私は選手現役時代には一度も足を踏み入れたことがありませんでした。国名が替わった年、一人の共産主義者に統治されていた国は政治的に海外への門を開いたのです。

独裁者崩壊は観光にも扉を開きました。そして今日では、プラハはヨーロッパ切っての観光都市へと発展しています。東西南北のヨーロッパ文化の合流点として“ヨーロッパ文化の首都”と呼ばれているのはたまたまではありません。町の中心である歴史地区のたくさんの劇場、博物館、公共施設などの建物群は、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式など、プラハの歴史に登場したほとんどの時代様式が混在しています。なかでも、サン・カミーロ・カテドラル、サン・ジョルジ・大寺院やテイン教会や、チャーレス橋などゴシック様式調が色濃い建造物が興味をそそります。残念な事にこれらの建物の奥までは入ることが出来ず、写真もあまり撮れませんでした。私はそれらの建築物を通り過ぎて、中央公園に辿り着くことが出来ました。

ここで驚いたことは、他国からプラハに勉強に来ている若者達のグループの多いことでした。観光の途中でこれらのグループの一つと出会うことが出来ました。ガイドをしていたのはイタリア・ウディネーゼ出身のイタリア人でした。彼は私の事を知っていて、少しポルトガル語を話す事ができました。彼の話によると、こうした若者達ツーリストの数はこの国の文化を知る為に年々増えているとのことでした。それはイタリアにとって良い事であり、他のヨーロッパの国々にも同じことがいえると思います。

プラハの歴史には大変興味深いものがあります。この街は9世紀から造られ始めたプラハの城(現在ではフラッドカニーといわれる)と共に発展してきました。プラハの城を中心にして、その周りに街が膨らんでいったのです。

また、この街はある人間がアブラムシにどうやって変ったかを語る『変身』という本を書いた有名な作家、フランツ・カフカの出身地であり、文学を好む愛好家にとっても、興味の尽きない町なのです。

このような数々の興味がこの街を観光することに意義を与えてくれています。しかし、このような文化的歴史的背景が無くても、中央公園の周りのギャレリーには、若者達が多い中、新しいセンスの良い飲食店やレストランがたくさん建ち並んでいます。

チェコ共和国と試合をして勝った翌日の朝、少しの時間ですがプラハ観光をしました。とても気持ちが良い日で、エドウー、里内、カンタレーレ、リカルドと一緒でした。

そこで我々は街の興味深い一面を発見しました。建築様式の関係からでしょうか? 教会などに大量のガラスが使われているのです。それはまるでクリスタルの街とも言えるほどです。

横の写真でも見られるように、商店でも綺麗な芸術品を見る事ができました。

チェコ共和国では紛争や革命が、東ヨーロッパでの独裁政治崩壊、ベルリンの壁崩壊まで続きました。今ここで、私達はプラハの民衆に大きな変化を見出すことが出来ます。あの独裁政治時代に押し付けられた陰気な雰囲気は無くなり、民衆の若返りと歓喜が“新たなルネッサンス(文化の再生)”を推し進めているのです。

美しさと芸術の真価を求めて、目的のない散歩をするのにちょうど良い街。チェコの首都はヨーロッパで立ち寄るべき一つの場所です。


プラハの建築術


試合は 1 ー 0 で チェコに勝利


街を散歩するテクニカルスタッフ陣


カンタレーリ、リカルド、私


カシノの正面にて


クリスタルの物には全てに気を付けて注意を払わないと。


里内コーチとエドゥーが見事なクリスタルの壺の後ろで悪ふざけを。


プラハでの試合前の練習風景。

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