世界紀行

ローマ ー 不滅の街 ~信仰と、そしてサッカーの地~

一つの街がその境界線の中で一つの国を庇護していて、人類の歴史上大切な一部であり、クリスチアン信仰のシンボルであると同時にサッカーに対する情熱の街。

今日はそのイタリアの首都ローマについて語ります。そこは世界建築の何世紀にも渡る遺物の一つ一つのモニュメントに含まれる意味を学ぶことができ、そこに平和の精神と英国生まれの伝統的なスポーツの実践に行き逢うことができる場所です。

私は3000年にも及ぶ長い時間で7回も破壊され再建した“不滅の街”と呼ぶローマに伝わる幾つかの話しを知っています。私に初めてこの街を紹介してくれたのは、有名各誌なジャーナリスの一人、アラウージョ・ネット氏でした。彼はヨーロッパにおいて有名な特派員でした。1969年ローマに渡り、昨年73歳で死去した。

最初にローマを行ったのは1980年で、フラメンゴがドイツのフランクフルト(試合は3-1でフラメンゴに勝利)へ遠征し試合した後、代表の試合がリオのマラカナンで旧ソ連とあり、合流する為に帰る途中ローマを訪れました。妻サンドラと息子のジュニオールと一緒に、アラウージョ・ネット氏と出会い、古代ローマの剣闘士が戦った舞台となったコリゼウム、幾つもの決闘場となったパンテオン、公園や泉などをまわりました。

キャリアの中でサッカー選手としてローマで試合をしたのは3回だけでした。2回はマスターズの親善試合で公式戦は1回だけのウディネーゼ対ラッツイオ戦でした。もっとも長い時間ローマに滞在し、様々なところを訪れたりできたのは1990年のワールドカップでバンデイランテス局の解説者として40日間仕事をした時でした。その時には食の文化も堪能できました。ローマは移動の利便性があり、素晴らしい食文化を持っていることを発見できました。

またローマで大変興味深いのは街の中に一つの国家がある事です。その名は“バチカン”カトリック・クリスチアン宗教の神聖行政国家です。私はどのような信仰・宗教でも尊重しますが、正直なところあの場所に立った時に特別な感動を抱きました。“ローマに行って法王を見ない事は不可能だ”という諺があります。私もその機会に2度も恵まれました。一回は法王ヨハネ・パウロ二世が在任25年大司祭の時だった。  

バチカンには世界のスポーツ関係優秀者グループの一員として招待されました。私の横にはユーゴスラビア人ゴラン・イワニセヴィッチ、イタリア人オートレーサーのマックス・ビアッジ、それに何人かのアフリカの陸上選手達がいました。それ以外にも約8千人からの参拝客がいました。世界中の高位聖職者、牧師、神父や司祭などが集まっており、私はその中でカトリックを交えて話をしました。フラメンゴの選手達をいつも加護し、神父の服の中にフラメンゴの赤黒のユニホームに着てミサを行うサン・ジューダス・タデウ教会のベッサ神父のことを話しました。イタリア人はサッカーに対して熱狂的な人が多いので、私の話にみんな爆笑していました。あの時の事は鮮明に記憶に残っています。

ローマを語る時、私は気負わなくていられます。何年後かにウヂィネーゼに住む事になり、イタリアのその町が受け入れてくれたことは大切な思い出として心にしまっています。 でも今後、もしイタリアに住むとしたら間違いなくローマを選ぶでしょう。あの街にはどこかリオデジャネイロと似たところがあります、ローマ人の熱い精神や楽天的でサッカーに接する辺りが・・・。たまたま私の今年の誕生日はローマで友人達に囲まれて過ごしました。 

このサッカーの世界でのブラジルとイタリアを結ぶ大使として、まず頭に浮かぶのはファルカンだと思います。 80 年代には彼はそのクラシカルなスタイルで町のチームのリーダー的存在となり、「ローマの王」とも言われていました。ファルカンがローマで活躍した事はブラジル人の誇りとするところであります。彼はブラジルの名をとても高め、そして順当であろう“王”のタイトルを得たのです。

皇帝達、帝国そして王達。世界の歴史、サッカーの歴史と名人達。国民の喜び、素晴らしい気候風土・・・・様々な歴史がローマを飾り、その街の名が私の一度は訪れて見たい所のリストに載り今回の世界紀行で取り上げました。

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