世界紀行

パリ - 光の街

パリという街は様々な魅力をもった場所である。フランス国の首都パリには世界中の美しい町の集約のようである。人種的には世界中の人種、肌の色、宗教、慣習が存在し気候は有名なシャリルドゴール空港から一歩街へ出るとその素晴しさを感じる事が出来る。芸術の街、スポーツ、グルメ等この意味ではニューヨークに似た部分があるといえる。

最近年末の帰国の際、パリに寄った。サンドラとチアーゴと共に何枚かの写真を撮ったので皆に見てもらうことにする(パリが光の街と呼ばれる理由がこれを見てもらえばすぐにわかると思う)私は2001年9月11日 ニュ―ヨーク・ツインタワーへのテロ以来、パリ経由で日本とブラジルを行来している。もともとこの街に親しみを持ったのも結局‘92年に日本でプレーする様になった事がきっかけとなった訳である。

実に自分の今までの人生でフランスとの接点を考えてみると学生時代、学校の第2外国語としてフランス語を4年間勉強した事が最初で、1971年18才の時初めてパリに行ったと記憶している。この旅は私が南アメリカ大陸を出て初めて訪れた別の大陸へのものであった。この時は時間もなくほとんど街を見学するひまもなくその4年後フラメンゴのヨーロッパ遠征で再びトゥールーズ、マルセイユ、パリを廻った時もゲームのみでまったくサッカー選手というのは世界中をかけめぐっている割には実際はどこも良く見ていないのである。空港、ホテル、スタジアムの移動のみでだいたいは終わってしまう。

フランスでは非常に良くしてもらった。多分フランス人のブラジルサッカーに対する思いが大きく反映されていると思う。これだけだと自分とフランスの結びつきは非常に良いものに感じられると思われがちだろうが実際はピッチ内ではそうでなく多分私がキャリアの中で対戦した相手の中で最も成績的にはやっかいだったといえる。ブラジル代表のプレーヤーとして3敗している。その一つはプラティニに入れられたフレンドリーマッチ。またPK失敗の'86年のワールドカップ。代表コーディネーターとして参戦した‘98年のワールドカップ。逆に彼等に対して勝利した記憶は一度で3-1のスコアで私の500ゴール目となったゲームである。この1勝だけとしたら本当の意味でこの勝利の日は歴史的の日となる訳である。最近では日本代表を率いてコンフェデレーションカップで対戦した時も善戦しながら最終的にはアウェーで敗戦している。

初めて比較的ゆっくりとパリという街に滞在したのは'98年であるがこの時はサンドラが40日間も滞在した割に自分はバタバタしてとても充分とはいえなかった。4年後にやっとパリ又近郊を旅行者として観光する事が出来た。この時は友人夫妻と滞在したのだが美術館(ルーブルを中心として)も3つゆっくり見る事が出来た。この様にその街を良く知っている友人と廻る事が最高に有意義に時を過ごす事が出来る。ルーブルは非常に大きくコレクションも多種多様である。古代ギリシャ、エジプト、メソポタミア、フランス、イタリア絵画(モナリザ等)ルネッサンス彫刻、中世の調度品、本当に一つの歴史を見る事が出来る。観光地めぐりもエッフェル塔(昼と夜の写真参照)、シャンゼリゼ通り(フォト)、凱旋門、ノートルダム寺院、セーヌ川(サンドラと撮ったものともう一枚川をバックにしたフォト)等であるが堪能出来た。

パリで最もシックな通り、世界で最も高い地下鉄が通り、有名な店が立ち並び、グルメとしても名高い(フォト)これだけ並べればそこがシャンゼリゼ通りだということは皆もわかると思う。前にもちょっと紹介したが息子達にCDをたのまれて店の付近で撮ったフォトも含めて・・・思い出せますか?素晴しいレストランが多く値段もそれ程高くなくいろいろな味が楽しめる。全部で8千軒位あるというが・・・。

興味深いのはどこへ行っても昼間は人でいっぱいだという事。パリの人口は200万人(勿論観光客は除く)。先程紹介したパリは光の街という部分でこれを実際目のあたりにした人は私も含め絶対にその光景は忘れる事が出来ないであろう。そしてもう一度見たい、もっと見たいという気持ちにされる。ロマンチックで魅力的なのである。是非一度あなたにもおすすめしたい。

詳細:シャルル・ド・ゴール将軍(フランス最大の空港の名前でもある)はフランス大統領として第二次世界大戦も含め二期務め女性参政権(1945年)アルジェリア独立(‘62年)等と世に残る仕事をしている。エッフェル塔は1889年世界博のアトラクションの一つとして街を代表する建造物、その後数回高さを増し現在は324m。

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