世界紀行

アムステルダム

私はサッカーに携わっているおかげで世界中の素晴しい場所を訪れることが出来る。これらの場所の中で選手時代にはなぜか一度も行った事がなかったアムステルダムという街の事を話そう。現役を引退した後現在オランダの首都のこの美しい町を知る事が出来た。私の兄の一人のナンドが70年代前半ポルトガルでプレーした時代、休暇でブラジルへ帰国した際良くヨハン・クライフ、ピエール・カイザー、ヨハン・ニースケンス、ルードクロル、ジョニー・レップ等のオランダのスタープレーヤーの話をしていた。彼等はアヤックスのプレーヤーで当時はブラジルではあまり知られていなかった。‘71、'72、‘73年にヨーロッパ3年連続チャンピオンとなったあのアヤックス、現在でいえばチャンピオンリーグチャンピオンとなる。'72年にはさらにアヤックスは世界クラブチャンピオンにも輝いている。またヨーロッパ・スーパーカップのチャンピオンにもなった。このタイトルは‘73年にも再びアヤックスのものとなった。ブラジルからは本当に遠い国の出来事ではあったが私は非常に興味をもってその話を聞いていた。

当時は今の様にインフォメーションが豊富でなく勿論TVでいつでもどこのサッカーでも見られるなんていうことはなかった。この情報不足の為に特に'74年ワールドカップでオランダが見せたプレーは世界中の注目をあびる事になる訳である。私は今までの全てのワールドカップで唯一戦術的な大きな変化を見せたチームであったと思う。何という改革であった事か。もしあの皇帝ベッケンバウアー軍団が決勝の相手ではなかったら確実にチャンピオンとなっていただろう。

オランダ、アヤックス、サッカー・・その全てが私の脳裏に焼きついた。二十才そこそこの若者の夢である。その時からアムステルダムに一度行って見たいと思いつづけていた。それは文字でこの町を知る事位では満足出来ず、是非この目で見たいという強い気持ち、これが私の夢見ていた町なんだという事を現実に確認したいというものであった。息子のジュニオールはそんな私の夢も知らずこの町を訪れアヤックス・ミュージアムも見た際に親も絶対一度はいって見るべきだとか言っていた。

日本代表がチュニジア、ルーマニアに遠征する際チームより先にヨーロッパに行く事になり日本人選手がプレーするゲームをいくつか観戦するチャンスが訪れた。英国のフラムでプレーする稲本とオランダ:フェイエノールトの小野のゲームである。そしてこの小野のチームのゲーム観戦により妻サンドラと共にあの美しく素晴しい環境の町をやっと訪れる事が出来た。24時間という少ない時間であったがこの町は私を失望させたりはしなかった。私が思い画いていた通りの街であったのだ。

驚きはこの街を訪れた数時間後に起こった。その電話を受けた時私はホテルに居た。電話の相手はマダム・タッソーで私達を世界中の有名人が集まるパーティーに是非とも招待したいとの事であった。私とサンドラは喜んで出掛けていった。そして、驚いた事に私達を待っていてくれたのはあの有名なスパイ007、さらにその後マダム・タッソーがその微笑と共に私達を迎えてくれた。

世界的な有名な人物が数多く招待されており、偉大な政治家ビル・クリントン、ミカエル・ゴルバチェフ、トニー・ブレア、ジョージ・ブッシュ、また現カリフォルニア州知事でターミネーターのアーノルド・シュワルツネガーまでもが出席していたのである。未来のエクスターミネーターのシュワルツ・ネガーも出席していた。歴史的な人物も地上に戻って来ていて例えば、ジョン・ケネディ、マーチン・ルーサー・キングこれらの人々は非常に気さくに対応してくれていたので私達もこのチャンスを逃すまいと写真を撮った。もう少し先に進んでみると世界的な三人のリーダーに出会った。マハトラ・ガンジー、ダライ・ラマとネルソン・マンデラである。何という事だろう。本当に感動的だ。実際に私達はこの光景に圧倒されてしまった。三人の平和を追求した聖人、それに平等と人生に於いてのいくつもの教訓を残した素晴しい人々だ。

二階に行ってみるともの凄い音量でミュージックが鳴り響いていた。そのリズムに  笛が踊りだす。ティナ・ターナ、マドンナ、マイケル・ジャクソン等が代わる代わるマイクを握る。そのミュージックの合間に何枚かの写真を撮った。ショーをストップさせない為に会話も素早くすませる。とにかく催眠術にかかった様に体をリズムにとけ込ませた。

疲れきった私達はまた上の階に進んだ。驚いた事にこの階はハリウッドのスター達でいっぱいであった。ニコラスケイジ、ジュリアロバーツ、天才チャップリン。ジュリアロバーツは本当に美しく私に椅子をすすめてくれた。そして私の後でポーズをとり一緒に写真を撮ってくれた。サンドラはレディーディーと一緒で夢中であった。

時間はあっというまに過ぎ私はチームと合流する為にパリへ向かわなくてはならなかった。戻る際にも絵画の天才ゴッホが気さくに作品を見せてくれ、世界的なビールに名をかしているハイネケンにも会った。彼には特別にリラックスの一時をさらに心よくしてくれている。お礼を言っておいた。ゲームの後、妻のサンドラがよく冷たく冷やしておいてくれたんだ。特にフラメンゴが勝った後の一杯は格別だよ。

素晴しい一夜でアムステルダムならではのものであった。ただ、あまりにも人が多くて全てを見る事ができず残念だった。数人のサッカープレーヤーもいた。特にブラジル人のペレ、フランクとロナルド(オランダ代表の兄弟)キーパーのブレウクレン(オランダ)ドイツのクリスマン。

もちろんこれらはアムステルダムのファンタジーであったが私にとってはアムステルダムが私にプレゼントしてくれた現実であった。マダムタッソーの蝋人形館での出来事である。魅力的なダン広場にある。チャンスがあれば是非とも訪れてほしい。バー、レストラン、ツーリスト等、本当に有意義の一時が過ごせる事は保証する。

その後、アムステルダムでフェイエノールドのゲームを観戦した。このスタジアム内にあるミュージアムも見学出来た。帰途、美しい虹を撮る事も出来た。虹なんて子供の時以来見たことなかったように思う。アムステルダム夢は実現した。 

豆知識 マダムタッソーは1761年マリーグロショルツで実父が他界する2カ月前に生まれた。実父はフランコープルツアノで戦死した。若い時にドクターフィリップカーチスより形造りの技術を学び戦死した兵士たちの人形を数多く作成した。今日、のミュージアムはロンドンに第一号館が作られたが香港、ラスベガス、ニューヨーク、アムステルダムにもあり人気を博している。

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