インタビュー

Socrates(ソクラテス)

[2003.11.03]

彼は名前までもがブラジル人そのものである!その名は、ソクラテス・ブラジレイロ・サンパイオ・デ・ソウザ・ヴィエイラ・デ・オリヴェイラ(ブラジレイロ=ブラジル人)。そして、彼の経歴が更にブラジル人の血を強調するのである。パラー州生まれのサンパウロ州ヒベイラォン・プレット市育ち…、そして、コリンチャンスの英雄。「マグロン(痩せっぽち)」、現役時代にひょろ長い体格から付けられたニックネームの持ち主は、“私はカリオッカ(リオっ子)気質をしており、根はカリオッカなのだ”と主張をする。彼は、 1970~1980年代に於いての名中盤(MF)の選手として世に名を知らしめ、ブラジル代表でも活躍をした人物なのだ。現在携わっている職業でもある医学を専攻した、グランド内外に於いて異才のプロフェッショナルである。ドクター・ソクラテスは、今週の木曜日、2月19日に50歳の誕生日を迎える直前に本サイトへのインタビューを受けてくれたのである。「マグロン」の性格から言うと、大変気さくな会話ともいえるべきインタビューになり、簡潔且つ意義深いものに仕上がった。ソクラテスは、自分の経歴やフラメンゴ時代、そして現在の活動、更にはサッカー改善への興味深い提案もしてくれたのである。それでは、ご確認ください!

■ソクラテス、ご自身の 50歳の人生を振り返ってみていかがですか?

実際に自分が生きたい人生の極僅かしか生きておりません。これから私の人生が何時まで続くのかは分かりませんが、今後も色々お騒がせするつもりでいます…。

■人生に於いて強い印象を残した仲間を挙げられますか?

名前を挙げるのは大変難しい事です。あえて挙げるならば、 1982年の代表の全メンバーとデモクラシーア・コリンチアーナ(コリンチャンス民主性運動)の仲間達です。この様な言い方をする事で全員を網羅出来たと思います。

■自身の現役時代と比較し、現代のサッカーでは何か不足している事があると思われますか?

全体的に言いますと、選手達がサッカーを展開出来るスペースが軽減している様に感じます。選手達の体格が発達し、フィジカル面が大変頑丈になりました。ブラジルでは、タレント(才能のある・天才的な・有能な)選手が日々実力を発揮しにくくなって来ています。フェリッペ選手を例に挙げますと、彼は今程存分に実力を発揮出来た事はありません。

■どうしてこの様な現象が起こっているのだと思いますか?

例えばフェリッペ選手の場合、今迄あまりにも戦術や戦略に縛られ過ぎていたのです。自由を与える事によって本来の実力が発揮出来るのです。そして、それが観客増員と収入アップに繋がり、選手をブラジルに留める事が可能になります。でも、この側面は余り評価しないのです。ブラジルサッカーでは、多くの地域に於いて、魅力無くしてでも勝つサッカーを魅了して負ける事より好むのです。これが現状なのです。

■現在のブラジルサッカーに於いて、お手本となる選手が不在だと思いますか?

その件は、大変複雑だと思います。我々の社会は新しい価値に対する評価が大変苦手であり、それが全てを困難にしているのです。更には、選手本人達の準備の問題があります。だからこそ、私は選手達が、それも全てのスポーツに於いて、最低でも高校卒業を義務づけるべきだとの論争を繰り広げているのです。これによって、選手達は次世代へのお手本となるべく役割を果たす事が出来るのです。実現化を図るのは決して簡単ではない事も解ってはおります。

■そのコメントに付随してですが、多くの人達がサッカー選手は準備不足であり、多くの場合、引退後においてクラブ経営に携わる機会を与えられないのだと注視するのです。あなたは、この意見に同意しますか?

部分的にです。事実は先程も述べた様に、我が国は教育制度が行き届いておらず、勉学に取り組む為の刺激にも欠けており、国民の教育程度自体が低いのです。サッカーのみを取り上げ、選手達に例外を期待する訳にもいきません。特にサッカーに当てはまるのですが、大抵の人々は自分の持ち得る知識を過少評価する事で、現実との大きなギャップを生じさせているのです。でも、決定的な要因は、ブラジルサッカーが貢献者に何ら特権を与えないところにあるのです。ジーコが日本で、そしてレオナルドがイタリアのミランで活動しているのは決して偶然ではありません。彼達は海外へ進出せざるを得なかったのです。

■あなたはコリンチャンスで栄光を手中に収め、後にフラメンゴのユニフォームにも袖を通しましたね。どの様な経緯があったのですか?

この件で一番興味深いのはジーコと直接関連しているエピソードなのです。実際に彼と唯一一緒にプレー出来たのは、 1986年の丁度今頃の時期、リオ州大会開幕戦のフラ・フル(クラッシコと言われるフラメンゴ対フルミネンセ戦)戦だけなのです。カーニバルの最中でした。あの年が、私にとっての初めてのサンボードロモ(サンバ・パレード会場)体験でもありました。そこで私は、いわゆるサンバとサッカーを通じて、いかに自分がブラジル人であるか、更にはカリオッカ(リオっ子)魂の熱いパッションを発見したのです。実際に私は、多くのカリオッカ達よりも、真のカリオッカだと言い切れます。私も、リオ州民同様、グッドライフにはやる気持ちで一杯なのです。そして、ジーコと私に関して言いますと、どちらかが調子が良い時は一方が怪我をしているという状況でした。運命の悪戯ともいうべく、我々はことごとくフラメンゴでは一緒にプレーをする事が出来なかったのです。でも、1986年のリオ州大会は共に優勝を果たしました。

■あなたは既に長い間グランドから遠ざかっておりますが、未だにボールを懐かしく感じますか?

懐かしさは感じませんが、素晴らしい想い出の数々は記憶に刻まれています。私は、自分が生きた全てを消化する事を好み、それらを記憶に保存するのです。中には、 1982年のイタリア戦敗退後のミーティングなど、とても印象的な出来事があります。あの時我々は大変感傷的になっており、その様な状況に直面した時にこそ全てをクリアに出来るのです。あの仲間達は全員が同じヒューマンパワーを秘めており、それが凄く印象的でした。

■もし、あなたにブラジルサッカーを変えられるだけの権力が与えられたら、何をしますか?

何のためらいもありません。再度繰り返します。プロサッカー選手のみでなく、関係するプロ達も含め、将来への準備を担い、しっかりと勉学に励み、最低でも高校を卒業する事を義務づけます。これが実行出来れば、紛れもなく色々な事が変化するでしょう。

■あなたは医者であり、そして現在はサッカーと医学での経験を生かし、博士号修得に励んでおりますね。ソクラテスにとってのサッカー理論とは、そして博士前期課程のテーマは何ですか?

至って単純な事です。サッカー事態が大きく変化しましたが、それにも増して選手達のフィジカル作りが大きな進化を遂げたのです。現在、私は再度論文に取り組もうと思っている最中なのですが、テーマ自体はスポーツを現代の要求にいかに順応させる必要性があるかに付いての論議なのです。更に私は、サッカーゲーム中の一時中断と、暴力的行為を軽減させる為にも 11人から09人に選手の数を減らす事を提案したいのです。

■あなたはサッカーに関して一見変わったコラムを掲載していますね…。他にも何かありますか?

カルタ・カピタオというコラムで、今週はジーコと共に参戦したあのフラ・フル戦を取り上げています。 COCヒベイラォン・プレットでは社会貢献の一環としてバスケットを通じての活動、そして今後は市のサッカーにも力を入れていきます。そして、同様のプロジェクトも幾つか抱えています。更には、グループで痛みに関する研究にも取り組んでおります。これら以外にも、現在フランス語を学んでおり、絵も描きながら、自由に生きております。

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