インタビュー

Roberto Dinamite(ロベルト・ヂナミッテ )

[2003.10.15]

ヘクレイオ・ドス・バンデイランテスのジーコ・サッカー・センターへ足を運んでもらっての会談となった。ジーコとロベルト・ヂナミッテが久しく談話を交わす良いきっかけにもなったのだ。話題には、リオ・サッカーの危機とヴァスコ・ダ・ガマの会長選挙が取り上げられた。ジーコは日本へ速やかに出発をしたが、ヴァスコ・ダ・ガマの永遠の「クラッキ(名選手・天才)」に対し、幾つかの質問を本サイトの記者に宿題として残して行ったのである。サン・ジャヌアーリオのクラブ史上最大のストライカーで得点王でもあるロベルト・ヂナミッテは会話の中で、ヴァスコ・ダ・ガマの新会長就任への期待感やリオ・サッカーの変革の必要性などに付いて語ってくれた。彼は、選手達がクラブに対してのアイデンティティ(素性・自意識・愛着心)の喪失を批判し、そして、フラメンゴとヴァスコ・ダ・ガマの強いライバル関係にも関らず、彼の選手時代からのジーコとの友情に関しても話してくれたのである。

■ロベルト、ヴァスコ・ダ・ガマの新会長に就任する為の準備は出来ていますか?

はい。今こそヴァスコ・ダ・ガマが変化を遂げる重要なタイミングだと思っているのです。現状に対し、誰かが新たなチャレンジへのイニシアティブを持たなければいけません。そこで私が、反体制派閥の一派に支援され候補者として立ち上がりました。そして、望ましい結果を得られる高い可能性を見出しているのです。

■ヴァスコ・ダ・ガマの選挙戦はどのような展開を繰り広げているのですか?サポーター及び一般に伝えられる情報によりますと、苦戦しているとの事ですが…。

実際に私が直面している唯一の難関は正式な投票権の保有者リスト作成なのです。でも、この件は既に調査段階にあり、全ての詳細を収集しているのです。選挙戦が対等な立場で展開され、ソシオ(会員)の皆さんが真の候補を自由に選ぶ権利を得る為にも、これら全てのデーターが入手出来る事を望んでいます。

■あなたは、リオ・サッカーが直面している危機からの脱出を図るには、元アスリート達が積極的にクラブの経営に携わるべきだと思いますか?

はい。正にリオ・サッカーのみならずブラジル・サッカーが歩むべき道だと思います。ベベット・デ・フレイタスとボタフォゴの関係のように、クラブが選手又は元アスリート達と今後親密に関係していく事を確信しているのです。既にボタフォゴには新たに脱皮しつつある一面が伺えます。私はヴァスコ・ダ・ガマでも同様な成果を追求するべく取り組み、そして、近い将来にはジーコ自身がフラメンゴで変革を手掛けられれば理想なのです。但し、長く続く低水準の経営状況を覆す為には、彼達は有能な人材と共に臨まなければいけません。そして、更に各クラブの信頼性を取り戻す為には、指揮官の名前が変わるだけでなく、内部での経営方針に対する意識改革を行う必要性もあるのです。それによって、再び投資者を呼び戻せるようにするのです。我々は、サッカーのみでなく、バスケット、バレーボール、ボートなどの種目にも前向きに関与していかなければなりません。私はこれらの事を実行したいのです。そして、クラブに貢献出来る事を望んでいます。

■あなたがヴァスコ・ダ・ガマの新会長に就任した暁に、先ず最初に執る措置は何ですか?

ヴァスコ・ダ・ガマの経営状況やクラブに対する訴訟問題の深刻さなどを把握する必要性があります。打開策を見出し、一つ一つペンディングになっている問題を解決すると同時に新たなパートナーを募り、クラブに新しい側面をもたらすのです。常にタイトル争いに加われる様な、強力なチームを構築する為にも下部組織への投資を図り、発展への道を再度辿らなければいけません。そして何よりも透明感のある経営を目指す必要性があります。更にはサポーターにも言動の権利を与えるべきなのです。依然としてヴァスコ・ダ・ガマは発言の権利を有する民主的クラブでなければいけません。現体制はクラブに取ってはデメリットなのです。現状では一個人が全てに於いての決定権を握っているのです。

■仮に今回当選出来なかった場合、再度チャレンジする準備は出来ていますか?

私は自分の追及するものに対して断固たる決意を持っています。だからこそ、その可能性に関しては 11月04日以降に考えるようにします。今は、大事な決戦である今回の選挙戦に私のヴィジョン(見地・見解)は集中しているのです。敗戦のことは一切考えておりません。勝利への可能性に確信を持っており、正に今が変革のタイミングなのです。我々は素晴らしい思想を持っております。クラブ史上初めてこの様な確固たる提案が示され、多くの支持者に賛同を得ているのです。

(提案に関する詳細は下記サイトまで)

http://www.robertodinamite.com.br/paginas/propostas.htm

■ヴァスコ・ダ・ガマの選挙戦の仕組みはどうなっているのですか?

先ず、第一次選では選挙候補者名簿を決定する為の派閥への投票が行われます。我々の派閥は“エスプロザォン・ヴァスカイーナ(エスプロザォン=爆発・炸裂)”と言い、現体制と争っています。投票権を有する 10,800人の会員により、選挙候補者名簿の投票が行われ、勝者はクラブの審議評議会で120席を確保し、そして一方は30席を得るのです。そして第二次選では、先ず一月の上旬に、この150名が審議評議会に既存する150名に合流し300名の投票者を決定します。第一次選で勝利を得る事が出来れば、第二次選で過半数を確保する為には、一部現体制の支持者により構成される審議評議会から31票を得る必要性が生じます。但し、第一次選を勝ち抜けば、動向として我々の派閥へのクラブ顧問陣の支持を得る事が出来ると確信をしているのです。ヴァスコ・ダ・ガマへ発展をもたらであろうこのプロジェクトに必ず賛同してもらうべく説得が出来ると自負しております。

■サポーターはクラブの選挙戦の仕組みへの理解があまりされておりません。だからこそ、スタンドで応援する一般のサポーターが投票権を有するのは極一部だという事を強調しておかなければいけません。

その通りです。一般のサポーターはこの変革を明確に望んでいるのですが、今、我々が最も必要としているのはソシオ(会員)の皆さんの力なのです。彼達が決定権を持っています。そして、クラブ幹部であり同時にサポーターでもある支持者が徐々に拡大していると実感しているのです。ここで重要なのは、既に我々が法廷で正式な投票権保有者名簿を取得出来た事なのです。今後はこの名簿を我々のリストと照合し、ソシオ・サポーター(意味:会員でもあるサポーター)の支持を追求するのです。約 1万1千人もの投票者がいるのです!現在、我々は一般のサポーターの気持ちが投票権を有するソシオ(会員)達に伝えられるように専念しているのです。繰り返しますが、私は勝利できる事を確信しています。

■ブラジル全国選手権でのヴァスコ・ダ・ガマの不調さはグランド外でのいざこざが影響しての結果だと思いますか?

残念な事にこれらの問題は直接ピッチ内にも反映するのです。私自身、支払いの延滞やその他の問題などで、大変苦難な時期を体験させられました。でも、以前とは違い現在では選手とクラブの関係自体が変化をしました。ユニフォームに対するアイデンティティ(素性・自意識・愛着心)が失せたのです。クラブは選手を頻繁に入れ替え、移籍させる事で、同じチームに在籍する期間が短くなったのです。私やジーコの時代のような絆はもう存在しません。今日では単なるプロとしての繋がりが重視されています。選手は期日に支払われなければなりません。そして、クラブは履行の義務を果たさなければいけないのです。サッカーとは何時の時代も、どの様な状況であれ、支払いを長期間延滞するクラブは信頼を無くします。そして、現在ヴァスコ・ダ・ガマを襲っている問題が正にこれなのです。この様な現状は選手達に不満を招き、クラブだけではなく、自分自身にとっても不利になるような発言をしてしまいます。結局、お互いが損害を被ってしまうのです。

■それでは話題を変えて、あなたの過去を振り返ってみましょう。如何にして、「カルロス・ロベルト・デ・オリヴェイラ」が「ロベルト・ヂナミッテ」へとなったのですか?

「ヂナミッテ(ダイナマイト)」の呼称は 1971年にヴァスコ・ダ・ガマでのデビュー戦で付けられたのです。私が未だ17歳でジュベニール・カテゴリーに在籍しており、ブラジル全国選手権でトップ・チームの試合でデビューを果たした時の事です。監督が退任し、フィジカル・コーチのアヂミウド・キロウが就任しました。私は、対インテルナショナル戦のメンバーに選出され、後半にピッチに送り込まれました。アウシル選手とヴァスコ・ダ・ガマの中盤を構成していたブグレ選手のパスをセンターサークル付近で受け、自分でそのまま突破したのです。そして、ペナルティー・エリア手前で強烈なシュートを放ちました。あの時代はゴールネットの固定方法が今とは違い、針金で引っ張るように止めてあったのです。そのゴールネットがシュートの威力で高く舞い上がる様に変形したのです。そこで、「ジョルナウ・ドス・スポーツ」紙のアパリーシオ・ピレス記者が新聞の見出しに、「ヂナミッテ(ダイナマイト)少年、マラカナンで爆発」と掲載したのです。この時点でロベルト・ヂナミッテが誕生しました。

■あなたとジーコはグランド内では常に天敵でありながらも健全なライバル関係でした。更に、グランド外では常に良き友としての親交があります。その二人の関係について語って下さい。

我々の時代は、選手及びクラブ間のライバル意識が現在よりも強かったように感じます。でも、常にお互いに対する尊重心も強かったのです。だからこそ、多くのファンをスタジアムへ導く事が出来たのです。試合の話題性を高める為にプロ仲間の批判や悪口を言う必要などありません。何よりも尊敬の意が大切なのです。私とジーコは常にライバル同士でしたが、ピッチ外では家族付き合いも含め、お互い深い尊敬心と友情が存在してました。これが、二人の選手人生を強く印象付けた他とは異なる特徴でもあります。サッカーはピッチ内で行うものなのです。最終的には、ライバル同士でありながらも、お互いのサッカーへ対する献身的な取り組みとクラブに対する愛情が私達を強い絆で結んでくれました。いわゆる、アイデンティティ(素性・自意識・愛着心)です。サッカーには現在この気持ちが不足しており大変嘆かわしいのです。ジーコと対戦するという事は、私にとって大きな意味を持つとても特別な一時でした。私自身をプロとして、人間として大きく成長させてくれたのです。ジーコはブラジル・サッカー史上、偉大なる選手の一人なのです。ペレー以降、ブラジル人種のタレント(才能)と魅惑を最大に表現した大家でもあります。

■そして、二人の対決が双方のクラブに多大なる実りをもたらした訳です。

疑いの余地はありません。どんなビッグクラブもヒーローが必要です。ブラジルサッカー界の 2大ビッグクラブで、私達はこの事実を象徴出来たかの様に思います。現役時代、私達は偉大なる仲間達と共に、サポーターと溢れんばかりの愛情交換とクラブへ数多くの勝利を導きました。今日では、彼が元気に頑張っている事が私にとって何よりの喜びであり、例え遠く離れていようとも常に応援し続けるのです。そして、彼も同様に応援してくれている事だと確信しております。

■ロベルト、興味深い事に、あなた達は代表で余り一緒にプレーする機会がありませんでしたね?

そうなんです。代表で一緒にプレーしたのは僅かに数回だけです。 1976年にアメリカ合衆国で開催された「ビセンタナーリオ・カップ」で初めて彼とプレーしました。当時、レギュラーでなかった私はイングランド戦でグレミオのネッカ選手に代わって出場を果たし、その後はチームに定着しました。そして、決勝戦ではジーコと私が揃って得点を決め、イタリアに4-1で勝利したのです。それ以降も、1978年W杯予選で数試合一緒に代表でプレーをしました。そして、ワールドカップではジーコは先ずヘイナウドと組んで先発したのです。私は3戦目から出場したのですが、彼自身も交代し、ジョルジェ・メンドンサとコンビを組みました。ペルー戦には彼は復帰したのですが、私がペナルティーに遭い、膝を負傷し、退場してしまったのです。そして、彼がこのPKを蹴り、きっちりと決めてくれました。更に、アルゼンチン戦には苦痛を堪えて臨んだのです。私達はこの後も、何試合か一緒にピッチに立つ機会に巡り合いました。実際には、代表メンバーに選出されながらも、あの1982年の一員としてピッチに立てなかった事実を大変残念に感じました。私は、カレッカ選手がW杯直前に代表を負傷離脱し、緊急収集されたのです。練習もしっかりとこなせたのですが、出場する機会には恵まれませんでした。正にファンタスティック(空想的・幻想的・非現実的・信じ難い素晴らしさ)なセレソン(代表)でした。そして、私の引退試合では、ジーコはヴァスコ・ダ・ガマのユニフォームを着て隣で一緒にプレーをするという素晴らしいプレゼントを与えてくれたのです。いかに私達の関係が強い絆で繋がっているかの証でした。フラメンゴのサポーターもこの真意を理解してくれたと確信しております。私自身も彼の引退試合に参加したのですが、仮に同じ様な状況だったらフラメンゴのユニフォームを着ていた事でしょう。

■あなたを取材するに当たり、マラカナンのベスト・ゴール( Most Beautiful Goal)に挙げられる、エリア内でのリフティングで相手の頭上を交わしながら決めたボタフォゴ戦でのあのゴールを語らない訳にはいきません。既に、何度もあのゴール・シーンは見た事だと思いますが、今でもテレビで放映されると感動されますか?

確実に感動します。あのゴールは私の歴史の一部でもあり、常に特別な感情を持っています。ボタフォゴのサポーターに私のベスト・ゴール( Most Beautiful Goal)を問われると良く冗談を交えて話をするのです。殆どの場合、ボタフォゴのサポーターが私の所へ寄って来て、あのゴールを取り上げ、私を感嘆していると言ってくれます。そこで私は、そのゴールに関しては忘れようにも、貴方達ボタフォゴのファンの皆さんが忘れさせてくれないんだよ、(笑い)と答えるのです。私のサッカー人生に於いて貴重な一瞬でした。正にそれがサッカーの魅惑ではないでしょうか。サッカー選手は、ピッチ内でのワンプレー、あるいはワンゴールの一瞬の出来事にて、記憶又は記録を歴史に刻みます。そして、サッカーの最大の存在理由はゴールなのです。

■数多くのクラッキ(名選手)が挙げたゴールがテレビの映像に記録されていないケースが多々あり、偶然にもその一つをベスト・ゴール( Most Beautiful Goal)に選びます。でも、披露することが出来ません。貴方の場合はどうですか?正に上記得点が一番素晴らしいゴールですか?

色々なシチュエーションも踏まえ、正にベスト・ゴール( Most Beautiful Goal)です。あのゲームは色々な意味合いも含め、ヴァスコ・ダ・ガマは絶対に勝たなければいけないという状況の中、後半の44分にあのゴールを決めたのです。珍しい出来事が重なった試合でした。ハーフタイムには、私とボタフォゴのアデミール・ヴィセンテはヴァスコ・ダ・ガマ ファンのマリオ・エンヒッケ・シモンセン氏などの、アメリカ合衆国とブラジルの高官が観戦していた貴賓室を訪れたのです。シモンセン氏に私のユニフォームを手渡し、彼はスコアを逆転するように願われました。それに対し、私は彼に勝利を約束したのです。それまで貴賓室に足を踏み入れた経験は一度もなく、ましてや、試合のハーフタイムなど尚更です!あの日、私は39分にも同じく難しい局面で得点を挙げました。更に試合後には、これも普通ではないアクションですが、シモンセン氏自らがロッカー・ルームまで出向いてくれました。そして、私が後半に使用したユニフォームを手にしたのです。正に、全てが特別な一日だったのです。

■本取材を終えるに当たり、ヴァスコ・ダ・ガマのサポーターの皆さんにメッセージをお願い出来ますか?

既に述べた様に、私にとって特別な時期です。私の経歴には、ヴァスコ・ダ・ガマのユニフォームでの試合出場数歴代一位やクラブ最多得点数などの記録があります。でも、それ以上に私は、クラブの改革を願う 2千万人のサポーターを代表する1万800人のメンバーの信頼を獲得したいのです。私が言いたいのは正にこのことなのです。我々はクラブが日々強くなって行く事を望んでおり、皆さんも私達の仕事をこれからも信頼し続けて下さい。そして、メンバーの皆さんは、11月04日にはロベルト・ヂナミッテに一票を投じて下さい。

その他、ロベルト・ヂナミッテの経歴やプロジェクトに関する情報、写真やエッセイなどは公式サイト http://www.robertodinamite.com.br までアクセス下さい。

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