インタビュー

Leonardo(レオナルド)

[2005.09.07]

レオナルド・ナスシメント・デ・アラウージョ。世界で活躍するブラジル人サッカー監督やサッカー選手の国際的なタレント性のモデルにもなりそうな人物。1994年WCでブラジル4度目の優勝経験者。ニテロイ生まれのレオナルドはフラメンゴやサンパウロでサッカー選手の名を記録し、更に国境を越えてフランスのPSG,イタリアのミランでもプレーを披露し、なおジーコが在籍し、指導者にもなった日本の鹿島アントラーズにも在籍した。

ピッチの外に出て、イタリアではミランにおいてコンサルタントとしての業務を認められ、今年末まで続ける一方ではクラブ副社長の補佐も勤め、ミラン基金の役員も勤めている。なお遠く離れたブラジルでは元選手のライーと共にゴール・デ・レトラ財団を作りその指揮にあたっている。ブラジルの何処のクラブでも充分に仕事ができる経歴の持ち主でもある。これらの富んだ経験はレオナルドから質素な面を取り除いたと思う者はちょっと違う。彼の心はまだニテロイに在り、フラメンゴの行方を見守っている。子供の頃からのクラブであり、1987年にはブラジル選手権を制覇しているのだ。

最近休暇でブラジルに戻った折、“仕事が多くてね、リオに来た時は時間が少ないから色々な問題を片付けるのに大変だよ”、と彼は言う。そんな忙しい中でもサイトのインタビューに時間を割いてくれたレオナルド。そんな元選手は成熟した経営者の面を見せながらフラメンゴには窮地を打開して行く可能性が有る事を示す。レオナルドはブラジルサッカーに設定できるプランも話し、フラメンゴが先進する夢を語る。だが、一つはっきりとさせる。“現在の構造を切断する必要がある。それはあくまでも和解を伴ってのこと”フラメンゴの将来の会長?彼は明確には言わないが、インタビューでの会話でその可能性を読者自身で判断して貰いたい。

-君はニテロイで生まれた。中流家庭で育ったことはブラジル国内の多くの選手たちとは少し違うところだが、何故芝のグラウンドに入ったのですか? 

「確かに周りには誰も居なかった。親戚にも居なかったし、サッカー選手になるような環境ではなかった。普段の生活で総てが早く起こったように思う。子供の頃は一度もサッカー選手になるなんて思ってもいなかったからね。でもリオ・クリケットと言うクラブがあって色々なスポーツで遊んでいた。14歳のある日サッカーのテストをするチャンスが巡って来てそれにパスした。それで皆が成りたがるサッカーを専門にやる事になり、自分自身好きになってしまって続けたのです。」

-そこでどうしてフラメンゴだったのですか?

「僕の家族は皆、熱狂的なフラメンゴ・ファンだった。僕もあの頃ヒーローだったジーコもいた事。ジーコは僕が心のチームとしてフラメンゴを選んだ原因とも言える。80年代初頭はスタジアムに通いあの歓喜を呼ぶチームを見ていた。フラメンゴじゃないと言う理由などなかった。ジーコと一緒にプレー出来るなんて素敵な事だしその後もこの時代のヒーローたちと遊べるのは素晴らしいよ。90年代に入ってからもまだ彼らの年代と試合が出来たからね。選手としては15歳でフラメンゴに入った。」

-少年が選手になっていつかはあの選手と、と思っていた選手と現実にピッチで横に立った時はどんな感じだった? 

「そりゃ大きな夢だった。本当の事を言うと現実になるなんて想像もしていなかったね。マラカナンでジーコの横に立つなんて余りにも遠い想像を越えていたことだった。クラブでプレーを始めて可能性は在ると考え始めた時でも現実になるのは難しいと思っていた。一つのプロセスだった。僕は一年半アマチュア部門の選手で過し試合にも出なかった。16歳になって試合に出るようになった。一年半後、ありえない事をやっていた。いつも特別に感じていた。僕は左ウイングでプレーしていたけど、ある時アダウベルトがけがをしてしまい、ジュニオールが上がって自分が左サイドバックをやる事になった。スタッフは僕に“明日はブラジル選手権の練習がプロであるからね。”と一言。17歳時僕はベベット、ジョルジーニョ、エジーニョ、レアンドロ、ゼ・カルロスと言う面々とプレーをした。大変なロマンスだったし不可能だった夢の実現だった。」

-感心するのは君は一度もサッカーの世界で錯覚を起こす事は無かった。分厚い基盤を構築して現在もスポーツに生き、二国語以上話して違う準備を整えている。そこのところを少し話して貰えますか?  

「まあ、僕はいつもサッカーに情熱を注いで来たつもりです。僕の生活、人生、以上に僕の仕事でもある。自分自身に凄く投資してきた。現役の時と後では違う事を理解してそのためにいろんな事を積み重ねて来た。サッカーは僕にいろんなチャンスを与えてくれる。沢山の人達を知ることも出来るし、新しいものを見る目を養ってくれる。色々な文化、風習、言葉や考え方に触れることもできる。世界の違う部分を見るのは気持ちがいいし仕事のやり方とか運営などがどうやって行われているのかなどビジョンが広がって来る。僕は通って来たところで常に多くの情報のアクセスを得ることが出来たし、逆にそれを求めたね。それらが新たなイデオロギーや目標を創造させてくれる。人間の行動を理解するための投資もした。僕はそう言うのが好きなんだ、リーダーシップにもある姿かな。今ブラジルを見ると、今までに僕が鞄に詰め込んだ情報や知識が一つの動機になり、まだまだ沢山やる事があります。もっともっと学ばなければいけないことは解っています。でも近くにいたいね。サッカーと言うのは偉大な力を持ったスポーツで、考えを培養するし、それに特に窮極の中でも真底から改革をするだけの事が出切るのです。」

-君は当然ながらブラジルの事を話している・・・    

「そう。我々の国は今、我慢出来ないぐらい社会的にもスポーツの面でも状況が悪くなっていますね。僕ははっきりと言う方だけど。世界5回チャンピオンの国であるにも係わらずですよ。100年もの歴史があるが現在の需要は別のものです。新しいアイデアと新しいポリシーがブラジルのスポーツ界に必要なことを我々は考えるべきです。特に今言ったようにサッカーには強い力があるのですから。考え方が古い、硬いからそれだけに改革をするのが難しいし、この辺りからクラブが不振に陥っている原因にもなっていますね。私達のサッカーは管理能力の面においてプロ意識から遠のいています。これらが上手く機能して行くには各方面からの人材が必要でしょう。例えば元選手で下部組織から養成して行く能力ある者から人事に長けているのや市場に精通している人材までと言う風にね.」 

―フラメンゴは常に先頭に立つクラブだと言われる。その考えを設定するには相応しいのかなレオナルド?その場合君が役員か会長になってクラブを変える、そう言う事?    

「いやそうじゃない。そう言うものじゃないと思う。入って直ぐ解決すると言うものじゃない。幾人もの人達が集まって関節となりグループとして入るべきでしょう。多くの人々がフラメンゴの変化を望んでいるでしょうしそこから基盤となる意見も出るでしょう。僕も積み重ねたものをフラメンゴの為に応用したい。僕がクラブのことを言うのは現在は大変困難な状況に成っているからです。今のクラブの構造は複雑です。問題は皆が理解しなければいけないのは根本的にやり直さなければいけないことです。現在僕は会長やら役員に成るというのは在り得ない事です。何が起きているのかを勉強して理解したいと思っています。まず何が問題なのかを良く知ってからでないと処方箋を注入するわけにはいかないでしょう。改革をするための指針を定めるためにね。僕は根本的な切断をしなければ出来ないと確信しています。勿論独断的にではなく、話し合いを繰り返してのことです。グローバルなプロジェクトを理解出来ず、アクチュアルなモデルが停滞しているようではよくないですね。」

-最近ではサポーターが大変心を痛めている。プロフフェッショナリスムとか良く言うのだが今まで結果が出てきていない。内部での政治的な争い事が多い中でもクラブはこうした穴から抜け出せると君は考えますか?

「そうですね、まず定款から変えていかなければいけないですね。役員の任期が3年では難しいです。会長が再選とかその権力を取られないようなシステムを作ってしまう。その辺りから改革する必要があって紙の上から抜け出して実施される自治権が無ければいけない。そこから新たな収入源を求めていく努力をしなければいけない。特に経済面での苦境を打開して行くペアも探したり。夜から昼へと直ぐ変わるものじゃない、道のりは長いです。それには正しい手順を踏んで目標を良く定めてからのことですね。評議会もゼロにする事を認め新しいモデルをプロ意識で促進させる理解をしなければいけない。フラメンゴとはいったい誰?3千8百万かそれとも約500が多くの委任状も無く、中には決断をするための知識も何もないまま物事を決めている状態。それでは駄目。確かに外にいて色々言うのは簡単な事だけど、でもこのままでは滅びていってしまう。

―君は我々がここ数年サッカーを真のプロ化する事について出来ていずクラブ組織をまず改革すると言う考えですね。フラメンゴを良くするという君が信じられるそのモデルというのは何処から学んできたもの?イタリアですか?

「そうですね、外で起きていることは応用出来る部分が有ると思いますよ。でもこのブラジルでは少し話が違いますね。ミランはレガッタで始まった訳では無いです。社会性の部分が無いのです。別の違った経験です。ここでの需要は何ですか?なにをしたいのですか?このような質問です。管理のモデルを造りだすのはそう難しくはないと思います。少数の人間ですっきりしたものから始めるのです。ひとつには融資を求めることです。不確定な外部の資本に頼ることに専念せずとも内部からの獲得をすることによって融資を求めることから始められると思います。今日は信用が無ければ大変難しいことです。今の状況では難しいですね。だけど新たなモデルがあれば可能になります。資本金が固まったスポーツ企業にならないといけないでしょう、株式会社よりよいかも知れません。ではどうやってこの企業を作る?それはいろいろな方法があります、例えば管理グループを使うとか。上手くやれる道は沢山あると思います、モデルに不足はしません。そこで報酬を得る役員を使うとか考える人が出てくる。そうじゃないんですね。まず、組織構成を設定する、その中で自立するグループ、プロフェッショナルが目標と責任を決めるのです。実行に移せる企画をする事です。面白いのは今このブラジルで起きているこの様な状況は他の国々でも起きて来たことなのです。イタリアでも起きました。そこでアマチュアな管理者たちはどうしたかと言うと、見識を変えて方向転換をしたか、あるいはみんな一緒に沈没したかです。」

-コリンチアンスが外部から資本を導入して投資したモデルは良い模範となりますか? 

「あまり好きじゃないですね。それがクラブにとって最良の道かと言うことには信じがたいです。ちゃんとした企画のもとでの話でないし、クラブに投入した資本も不安定でいつ外れるか解らないし財産も残らない。このような資本が外れた後には構造が発展しない。まあそれでも良いでしょう、今までの状況を変える手段としては。だが、理想的ではないですね。コリンチアンスはタイトルを制覇するかも知れません、だけど長期的にはこのようなモデルはクラブにいかなる結果をもたらすに至らないでしょう。でも、他の全てのクラブも今の状況を打開するためにコリンチアンスがやったような手段でグローバルになれば、あるいは確実な共同経営者が加わって全体がそうなれば利点は生まれてくるでしょう。投資家にも良いしクラブにも良いでしょう。私はそう思います。」

-君は凄く発展的で確信的にこの件について話しているけど・・・ 

「それは僕がこのブラジルのサッカーに繋がる夢を持っているからです。眠っている大きな能力が潜んでいると思います。前にも言いましたが、我々は優良であり、勝っています。しかしもっと良くなることが出来るのです。フラメンゴに対しても同じように考えます。ひょっとしてフラメンゴの方が僕がフラメンゴを考えるより考えさせてくれるでしょう。だけど何か出来るような興奮を覚えているんですね。もう15年もブラジルの外で暮らしています。日々走り回って、みんな僕は狂っているとか言います。けど、こっちに戻りたいし、僕の中に一つ立てこもっている気持ちです。家族もこちらに居るし・・・」

-それと社会貢献のプロジェクト、ゴール・デ・レットラ財団は国の貧しい子供達に絡んだ事業ですよね、レオナルド?  

「そうなんです。ゴール・デ・レットラをライーと一緒にはじめてもう6年経ちますけど凄く早く過ぎてきた。今ではユネスコの青少年に対する事業のモデルになっています。大きな喜びと責任を持って見つめています。僕が財団の会長を勤め2006年には規模も広げ、リオデジャネイロにも行きます。現在はニテロイとサンパウロですが。ニテロイでは地元の公立学校とタイアップしていて、良い効果が現れています。子供達の現実が変わって行く始まりです。将来子供達が国を変えて行くことを信じています。財団は僕ら生活の一部です。そこで持っているビジョンを教えて行くのです。立ち止まり考えます:フラメンゴのような偉大なポテンシャルのクラブがブラジルの現実社会を変えて行くのを想像したら・・・凄い事だ。それが起きる事を出来ないわけではない。僕はずっと可能への挑戦を続けて行きます。財団とフラメンゴの繋がりを共にして、そして未来がそれを語ってくれるでしょう。」         

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