インタビュー

Leandro(レアンドロ)

[2004.8.17]

彼のインタビューを行う事はこのサイトにとっては全く異論がない事。"サイト編集部はレアンドロにインタビューするべきだ"と多くの人達からリクエストがあった。そこで今回はその要望に答えてフラメンゴの名選手として歴史に名を残した、ジョゼー・レアンドロ・ソウザ・フェレイラ(1959年生)のインタビューを載せます。
彼は右サイドバックで輝いたが、選手として所属したのは唯一フラメンゴだけだった。そのチームでは他のポジションも殆どこなした。質問の中には読者からのものも3つ含めたので読みがいがあると思う。サイトの編集部と参加者との共同インタビューになった。                   

-レアンドロ、始めにもっとも興味深い事を知りたい。14年間他のチームのシャツを着なかったけど、それはなぜですか?

それは本当です。フラメンゴに入ったのは1976年で1990年まで所属しました。数多くのタイトルや勝利をクラブで勝ち取りました。事実、僕はいつもフラメンゴファンでした。カーボフリオ〔リオ市から約160キロ〕という街で育ち、子供の頃からお父さんに連れられてマラカナンでの殆どの試合を見に行っていました。後になって夢だったフラメンゴの選手になる事が出来て、それ以上のものは無かった。だから移籍したくはなかったのです。僕はサポーター達が観客席で何故僕がフラメンゴに居続けたのか、その理由を知っていると感じていました。そういうサポーター達がつらい思いをさせないように僕はいつも力いっぱいやっていました。フラメンゴでは最高に幸せでした。        

-君の経歴でもう一つ気になるのは、君は凄く色んなポジションでプレーをしていました。

下部組織でのことを話せば、キーパーだけはやった事がなかった。サイドバックが僕のポジションだけど、後ろの中盤、両サイド、ウイングもやったし、前の中盤とボランチもやりましたね。センターフォワードまでやった事がありますよ。殆どのポジションを経験しました。周りでは僕は変則選手だと言っていた。中にはその変則性は良くないなどと言う者もいた。その為に僕は決ったポジションを持てなくなると言う理由だった。現代では二つのポジションが出来る選手は大きな利点を持ち何処のチームでもプレー出来るよね。                         

-それは間違いないです。ところで、あるプレーを皆忘れる事が出来ないでいます。1985年に対フルミネンセで凄いゴールを決めた。あの試合で何か覚えている事がありますか?

その事については会う人に何度も聞かれ、話す機会が多い。本当に特別だったからね。フルミネンセが1対0で勝っていた。フラメンゴは二度優勝したが、3度目を勝ち取っていたフルミネンセより少し力が劣っていた。だけど、あの試合ではフラメンゴのサポーターは神がかった力を持っていたね。それに押されて気合がはいり我々は後半に入って攻撃していた。4回くらいゴールチャンスを無駄にした時にはキーパーのカンタレリはピッチの真中辺りまで出てきていた!僕は観客席を見た。その時は42分で誰もそこから動かなかった。僕は自分に言い聞かせていた。"これは何かが起きるぞ。サポーター達がいる。起きないとおかしい"。そして終了間際に起きた。ジウマール・ポポッカがフリーキック、キーパーが弾いて僕の足元に。右サイドに開いているジョルジーニョが見えた。彼に出しても良かった。後で聞いた事だが、ベンチでは皆「オーノー!」と叫んでいたらしい。僕はその時ボールを蹴る位置にコントロールしていたのだ。(笑い)本当なら右に開いてエリアにセンタリングを蹴り込む方が自然だった。でも僕は思い切りボールを蹴った。結果はあの通りだった。僕はゴールが見えなかったよ。人がいっぱい前にいて見えなかった。それが見えたのは皆が起き上がった時だ。僕は感動のあまりその場から動けないまま両腕を広げた。マラカナンを全部抱きしめたかった。ロメリットがその時芝の上に転がって"駄目だ、レアンドロ、ノー!"と私に言っているのを覚えている。(笑い)  

-インターネット読者のセルジーニョからの質問です。:サッカーで一番大きな栄光と置き忘れてきた一番大きなものはどれですか?そう言うものがありますか?

セルジーニョ、置き忘れはないが、悲しい事はあるけど思い出したくないね。楽しい事は随分あります。リベルタドーレスの優勝は忘れられない。困難を乗り越えて達成した事は、その後の地球の反対側で行なわれたトヨタカップで一試合で決まったタイトルより嬉しかった。
悲しいのは82年のワールドカップで敗北した事で一番つらい出来事だった。僕だけではない、あそこに居た全部の選手達、ジーコ、ソクラテスも痛感していた。僕はたった一度の大会参加だったけど、あの日は仲間達がつらい想いをしているのを見るのが本当に悲しかった。それにはまだ僕のサッカー人生を短縮させる原因となった怪我の痛みを含まれていなかった。

-そうなんですよね。君はいつも痛みと共存しなければならなかった。それが原因でサッカーを辞める事になったのだね、レアンドロ?

そう。医者達は僕が31歳までプレーするのは難しいだろうと話していました。僕は24歳でもう64歳の老人みたいに痛風になっていたから。どうやってサッカーが出来ていたのか説明が出来ないね。だから僕が止めたのはそれほどショックでも無かったわけです。もう止める準備は出来ていましたから。それは大変な犠牲でした。3回も膝を手術してね、足が曲がらないという問題があったから。試合毎に痛みを感じていました。毎回氷で冷やしていた。止める気持ちなど無かったけど、ぼくの体は必要としていたので、故郷のカーボフリオへ戻って休む決心をしたんだ。         

-君はサッカーから余りにも離れすぎてしまった。消えたことで有名になるほどだった・・・

そうなんだ。引退した後この離れた静かな生活に慣れてしまってね。1997年には一度フラメンゴに戻ってジュニオールと仕事をした事もあります。ほんの短い間だったけど。1999年に一年地元のカーボフリエンセ・チームに戻った。僕はコーデイネーター、監督にはソクラテスだった。それでチームを一部に上げたんだけどね。そこで又サッカーから身を引いた。でも本当は僕がここカーボフリオでペンションを営み始めてからみんなと遠のいている事はたしか。        

-やって来たサッカーに郷愁を感じない?

体操をしたり、時折ボールを蹴ったりしているよ。膝の問題はあるけど調子は良いね。でもサッカーの世界やサポーターの熱気とかライバルチームとの試合の直前などが懐かしいのは否定出来ないね。あのマラカナンで声援してくれる人達が懐かしくないと言うのはうそになる。こんなにサッカーから離れている事を上手く説明がつかない。単純に色んな事が起きては去って行くだけ。        

-今のフラメンゴはレアンドロ、どう思う?

ジーコが15年ほど前に言った事を覚えているよ。"このままじゃ、フラメンゴは井戸の底に行くよ"って。彼はそれをずっと前から忠告していた。あそこで起きている事を見ていてね。周りはそれを聞かなかったから今はあの状態。こうなるとクラブは難しくなるね。                

-インターネット読者アンドレー・サーレスの質問:昔のフラメンゴに戻るにはフラメンゴは何をすればいい?

アンドレー、それは凄く難しい事だよ。だけど出口はあると思う。僕は、クラブは長期的な計画の下、もっと設備を整えて下部組織を強力にしていくべきだと思う。僕等の時代ではそれが出来ていて、2人や3人が下から上がって来ていた。技術的に凄く良かった。今は自前で育てた選手が殆どいない。今いる選手に対しても信頼もしていないようだしね。フラメンゴはほぼセレソンのチームを一つぐらい売ってしまった感じで、その後釜を入れていない。まずは人材。そして信頼しなくてはいけないと思う。フラメンゴは世界でも有力な富豪クラブになるはずだった。ガムでも何でも売れるものはなんでも売ってしまった。今は商標もなくしてしまっている。選手や監督まで来たがらなくなっている。ジュニオールの様に精一杯努力している人がいるが、力強く後押しをしてやるべきだと思う。彼に仕事を任せるべきだ。クラブの人達は力のある後援をするべきだね。

-それでレアンドロ、君はサッカーの仕事に戻りたくないのですか?フラメンゴで出来ない事も無いでしょう?

監督では難しいね。だけど他の役職なら解からないね。ジーコが戻れば手伝いたいね。あのグループがひょっとして集まれるのならばそれは解からない。ジーコは時を選ぶのを心得ている。いつか彼が会長職についたらフラメンゴの為になる事と思う。もしそうなったら僕もどうなるか判らない・・・

-インターネット読者、アレックス・カルバーリョの質問:貴方のペンションはインターネットで素敵なサイトを持っている。そこで貴方のサイトをこのサイトの中に入れるのを考えた事がありますか?

アレックス、サイトを誉めてくれて有難う。僕のペンションを知らない人には、カーボフリオのフォルテ・ビーチにあります。街に来る人達のためにオープンにしてあります。サイトは:www.pousadadoleandro.com.br です。電話は(22)2645-4658。 自分のサイトに関していろいろ考えています。僕の話もサイトに載せる必要もあるでしょう。僕のサイトがこのサイトに出るのは神のみぞ知る、ですね。様子を見ましょう。

それならば私達は貴方がネットに来るのを期待します、レアンドロ。沢山の質問が残りましたからまた別の機会にインタビューをしなければいけないと思います。 今回のインタビューに付き合ってもらいサイトの読者始めスタッフ一同を代表して御礼を言います。


>一覧へもどる