インタビュー

LESLIE MOTTRAM(レスリー・モットラム)

[2005.04.22]

私の長きにわたる現役時代、それ以降の鹿島アントラーズでのテクニカルディレクターとしての時代も、常にレフェリーとしての職業には敬意を払って来ました。そして、このような経緯から何かと親交を深めることが出来たのです。この名簿には、1990年代のヨーロッパサッカーレフェリーの大御所的存在だったスコットランド人のレスリー・モットラム氏が含まれています。彼は、1994年W杯予選の主要試合及び本大会、ユーロ1996準決勝戦のレフェリーを務めており、1988年から国内マッチ300試合と国際マッチ60試合をジャッジした実績の持ち主です。

私は彼の下で試合をした経験はありません。レスリー・モットラムは私が鹿島アントラーズでテクニカルディレクター時代の1996年に、彼が45歳でFIFA国際審判を退いた後に来日をした時に知り合いました。日本での彼は、2001年までJリーグの審判としてJ1リーグ147試合、J2リーグ15試合、ヤマザキナビスコカップ25試合の主審を務めました。現在彼は日本サッカー協会の審判インストラクターの任務に就いております。

今回、1951年03月05日生まれのレスリー・モットラム元レフェリーは、日本サッカー協会の事務所で私との対談に応じてくれました。通訳兼筆者は私の次男ブルーノ・コインブラによるものです。ソフトで堅苦しくない会話を独占でサイト読者へ!

ジーコ:あなたがサッカーと関わったきっかけは何ですか?

モットラム:それは遥か過去の話で、私がプロサッカー選手になった時のことです。でも、選手としては十分な技術を備えていたとは言えず、僅かに数年間の出来事でした。私は17歳でスコットランドの1部のチームと2年間の契約を交わしました。その後は、殆どアマチュアに近いセミプロとなりました。同時に私は教員でもありました。そこで、私が勤める高校のサッカーチーム監督をこなす必要があり、度々レフェリーも不足していました。結局、私がレフェリーも勤める事になりました。そして私は、30歳前後の時にレフェリーの試験を受ける決断しました。学校のチームの為にレフェリーになったと言っても決して大袈裟ではない位です。以後レフェリーとして上達し、FIFA国際審判へと昇進しました。

ジーコ:あなたは何処のポジションを守り、どのチームでプレーしたのですか?

モットラム:機敏さに欠けるDFでしたが、とても頑強で逞しい存在でした。(笑い) 現在ではスコットランド2ndデイビジョンに所属するAirdrie Unitedのチームに所属をしていました。大学のチームで
もプレーをしたのですが、先ほども述べたように、私は技術的に優れた選手ではありませんでした。数多くの警告を受けた選手です。(笑い)

ジーコ:あなたの経歴を一目見るととても国際経験に豊かであると伺えます。なぜ、サッカー中心地のヨーロッパを後にして日本へと導いたのですか?

モットラム:私は1994年W杯とユーロ96のレフェリーを務め、そして、1996年には45歳を迎えたことでキャリアにピリオドを打たなければいけませんでした。そこで、Jリーグから3ヶ月間のオファーが届いたのです。これが私にとって国際的に活動する最後のチャンスだと考えました。そして、1996年の8月にJリーグ2ndステージで3ヶ月間だけ笛を吹くために来日しました。でも、川渕チェアマン(当時)から2年間のオファーがありました。当時、スコットランドで私も妻も教職に就いており、息子と娘は大学生でした。その様な理由からも日本への転居には障害がありませんでした。何故なら、僅かに2年の滞在を経て母国へ帰国し、再度教職に就くことは難しく無かったからです。でも、結局その様にはなりませんでした。先ず日本での契約は3年へと延期、次に4年、更に4年半…、結局引退をして、コーディネーターとして2年間の誘いを受け、そして2年間…。即ち、3ヶ月間の予定で来日をしたのに気が付けば8年間になっていました。(笑い)

ジーコ:私も同様です。2年間の滞在予定が、既に15年間になろうとしています…。

モットラム:そう…、我々は彼らから逃れられないのです!!(またしても笑い)

ジーコ:実際に、あなたが直面した日本人レフェリー陣との困難は何ですか?

モットラム:最も難しいのは頭であり、つまり試合のルールを変えるのではなく、精神的な部分の強化だと思います。私の来日当時には、ピッチ内にジョルジーニョ、ビスマルク、ストイコビッチなど多くのレフェリーが存在しました…。彼らは真のレフェリーの様でした! 日本人レフェリーは、例えばビスマルクの前では、萎縮していたことに対して、精神面でもっと強くなるようにと私は努めているのです。ただそれは決して偉い存在になるのではなく、もっと権威を持つことであり、これは日本文化に触れることでもあるのです。

ジーコ:私も、例えば、日本文化には団体で判断を下す風習が見受けられますが、レフェリー職と言うのは個人での判断力が要求されることで多少なりとも困難と不安を招くかのように思えます。

モットラム:正にその通りであり、レフェリーは長でなければいけません。私はつい最近多くのレフェリーを集っての講習会でビデオを通じて幾多のシチュエーションについて説きました。ビデオのプレーシーンに対して私は彼らに自己判断を求めたのです。各状況に関して、ファール、イエロー又は…などを問いました。即ち、彼らが自己判断の対象となる幾多の質問をしました。そして、彼らは頭をかしげながら1分以上考えた末に結論を出したのです。これでは実際の現場では難しい面があります! 私は来日当時に、あなたが鹿島アントラーズ時代、ロッカールームでのミーティング中に選手達が全てをメモ帳に書き留めていたという話しを思い出します。私自身も日本人レフェリー陣に対して同様な現状を味わっていました。私が語る全ての内容を彼らがメモに取る姿勢に対して、「いったい、それら全ての情報を皆さんはどうされるのですか? ピッチへ持ち込むのですか? 果たして何時読まれるのですか? 余り意味が無いのでは…。」と、私は問いかけるのです。結果的に精神的な部分を変えなくてはいけません。

ジーコ:実は、私が鹿島アントラーズのテクニカルディレクター時代に、あなたが主審を務める試合では、安心感を与えてくれて、選手達にそのことを伝えていました。当時の鹿島アントラーズは、ヴェルディ川崎や横浜マリノス、名古屋グランパスエイトのようにユニフォームへの重みも伝統もないチームでありながら、レフェリーは目撃したことに対して公平にジャッジを下すのだと話していました。私は、あなたのようなレフェリーが主審を務める重要性を選手達に伝えるようにしていたのです。

モットラム:来日当時には、実際に私はヴェルディ、マリノス、グランパス、又は、鹿島アントラーズの伝統に対しては無知であり、自意識では全てが対等でした。唯一私が実行していたのは、そこに仮にビスマルク、ストイコビッチ、小村、井原…の存在があろうとも、何の躊躇いも持たずにレフェリーを務めに試合へ出向いていたことです。彼らも含めて全てが私にとっては同等でした。ファールを犯せばジャッジを下し、そうでなければ試合を円滑に進めていたのです。

ジーコ:その理念を日本人レフェリー陣の脳裏に焼き付けることに苦戦しているのですね?

モットラム:クラブを訪問して監督や選手達と意見を交換した際に、彼ら自身も発言していました。日本人レフェリーは外国人と若手日本人に対するレフェリングの対応が違っていると語っていました。全員平等な立場ですので、決して正しい行為だとは言えません。唯一異なっても良いのは、彼らに対する理解の相違なのです。ジョルジーニョやカズ等の見解が理解できるのであれば、彼らをコントロールすることが可能となります。但し、あくまでもファールを犯せば、厳格さは同等なのです。

ジーコ:私が更に最近感じていることは、代表選手と、外国人又は他の日本人選手が犯した同じラフプレーに対しての判定の差が大きいことです。外国人は罰せられ、代表選手はお咎めなし…。

モットラム:そう…、もしかしたらね。更にその問題も存在します。それを変えようとしており、日本人レフェリーに基準を持たせるように試みています。どんな選手がファールを犯したかには関係なく、普通、警告又は退場に値するプレーなのかの判断基準です。世界中でレフェリーが批判を浴びているのは一貫性の無さに対してであり、中には個人基準を持っている者も存在します。

私が日本で改善に努めているのは一定の基準を保ちながら一貫性を持たせることです。でも、これは困難なことでもあります。

ジーコ:でも、実際にレフェリーは進化を遂げました…。

モットラム:そうですが、我々は、彼らが徐々に引退をすると言う問題に直面し、新しい世代をしっかりと育てなければなりません。こちらも難題だと言えるでしょう。日本に西洋文化が押し寄せ、大きな影響を若者達に与えることで彼達は以前よりも個性化しつつあり、若い世代は異なる姿勢を示す事になります。例えば、先輩レフェリー達は経験豊富な選手達を尊重しすぎる傾向があったのですが、若い世代のレフェリー達には意識改革を図り、しっかりと準備を整えてJリーグに臨める様に取り組む必要があります。

ジーコ:今日、更なる難題は副審のジャッジングにもあるかのように思います。試合中には多くのミスが見受けられます。

モットラム:深刻な問題でもあり、彼らは集中力を安易に欠かしてしまうのです。何と4人の選手がオフサイドポジションにいながらも、レフェリーが得点を認めてしまう状況すらあります。私は、副審達にミスを伝えられるようにJリーグの全試合を観るようにしています。全てのシーンをDVDに録画して彼らに見せているのです…。

ジーコ:少し話が逸れますが、他のスポーツ種目では多くのルールが改定されたにも関わらず、サッカーでは勝ち点3や同じライン上ではオフサイドは無いなど、その他幾つかを除いては殆んど変っておりません。でも、これら一連の改善で、最もダイナミズムを与え、最良だったのはどれですか?

モットラム:ゴールキーパーの6秒ルールです。このルール改定は大変好かったのではないかと思います。

ジーコ:あなたは、日本ではレフェリーは6秒をカウントしていると見ていますか?

モットラム:私は彼らにカウントするように言います! ゴールキーパーが倒れている間は別です。でも、立ち上がった時点からカウントを開始するように伝えています。そして、カウント「5」の時点でゴールキーパーが未だボールを保持していれば、既に5秒が過ぎていることを手の平を見せて合図し、素早くボールを手放す必要があることを認識させるように指示しております。

ジーコ:バックパスに関しては、現在では足を使用しては禁止されておりますが、私見ではヘディング、肩、胸であろうと、如何なる状況に於いてもバックパスは認められない方がベストではないかと思います。

モットラム:その通りであり、実際には次期改定が行われるのではないかと思います。FIFAはゴールを斡旋しており、次回の改定では絶対にバックパスは許されない様に、変更されるのではないかと捕らえております。

ジーコ:レフェリーのトレーニング頻度に関しては解りませんが、例えば、クラブは毎日練習をしますよね! でも、多くのレフェリー達は他の職業に就いており、どれだけトレーニングをこなしているのか認識しておりません。いったい日本ではどのように行われているのですか? あなたは、レフェリー陣のコンディショニングを管理する組織が必要だと思いませんか?

モットラム:ここ日本では、「プロフェッショナル・レフェリー」の定義を好みませんが「スペシャル・レフェリー」と呼ばれるプロのレフェリーが6人存在します。彼達は毎日練習メニューをこなしており、私は隔週の水木金曜日を彼達がレフェリーを務めた全試合の復習日に当てております。良し悪しを含め、更には改善点を彼らに伝えます。他のレフェリー達は別に職を持っており、主に教員です。彼らは日中に勤務を果たしながら、フィジカル・トレーニングに取り組まなければなりません。決して、ベストコンディションだとは言えません。私がスコットランドに住んでいた当時と同じなのです。午後3時から3時半に学校を出発して、Aberdeenまでの道程を約2時間運転して試合のレフェリーを務め、更にその後再び翌日の朝の授業に備えるべく約2時間を費やして戻っていました。プロサッカーにとって最良なのは全てのレフェリー陣をプロ化することなのですが、殆んどの国はそのための費用を負担したがらないのです。

ジーコ:ブラジルではそれを試みていたのですが…。

モットラム:イングランドではプレミアリーグの全22人のレフェリーがプロ化されております。イタリアでも、セリエAの大多数がプロフェッショナルです。ドイツでも数人のプロがブンデスリーガーで活動しており、更に日本には6人存在します。レフェリー陣をプロ化することで、紛れもなく彼らはフィジカル・コンディショニング、即ち持久力も含めて確実に進化することでしょう。でも、誰かが彼らに報酬を支払わなければなりません。現時点では、日本サッカー協会とJリーグが給料を負担しており、今後10年間を目標にJリーグの全てのレフェリー陣をプロ化する計画があります。でも私は、実現はとても困難だと思っております。

ジーコ:あなたの本職に戻ります。決勝戦は、日本では数多く務められたことは承知していますが、欧州で特に記憶に残っている試合はありますか?

モットラム:私の記憶に一番残っているのはパリで開催されたW杯94年予選のフランス対ブルガリア戦です。フランスは僅か勝ち点1のみを必要としており、それに対してブルガリアは出場権を得るためには勝利しなければなりませんでした。試合終了まで約30秒を残して試合は1対1の同点の時点で、私はコーナー付近でブルガリアに対するファールをフランスに与えました。フランスはフリーキックを蹴ったのですが、ボールは全員をスルーして、ブルガリアのカウンターアタックへと繋り、後半48分に決勝点となる2点目を挙げたのです。そして、試合は2対1で終了しました。ゲームセットと同時にスタジアムを襲った静けさを私は清明に憶えています。5万人の観客が無音で立ち竦んだのです。初めての体験でした。もう一試合は、余り好ましい出来事ではないのですが、後半にザラゴサの選手3名の退場を余儀なくさせられた重要な試合、欧州スーパーカップ決勝戦のザラゴサ対アヤックス戦です。私の記憶では、同チームの選手を3名退場させざるを得なかった唯一の試合でもあります。

ジーコ:日本では、どれが一番印象に残っておりますか?

モットラム:私は鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田のチャンピオンシップを良く憶えております。カシマは素晴らしい環境で、サッカーをするには最適な雰囲気を醸し出していました。でも、それはカシマサッカースタジアムが常に満員状態の、増築される以前の約1万8千人収容の頃でもあります。

ジーコ:あなたはブラジル代表又はブラジルのチームの試合でレフェリーを務めた経験はありますか?

モットラム:何時だったかは憶えていないのですが…、ウエンブレィでブラジル対イングランドの親善試合を吹いた経験が一度あります。

ジーコ:その試合は調べてみましょう…。あなたのキャリアに於いて良くも悪くも、問題児又はフェアープレイの面で印象的だった選手はいますか?

モットラム:イングランドのポール・ガスコイン選手が両側面を持ち合わせていたことで大変印象に残っております。何度も彼の試合を吹いたのですが、とても才能豊かであると同時に途方も無い選手でした。目も眩むような素晴らしいプレーを披露したかと思うと、次の瞬間には退場を命じざるを得ない状況だったのです。彼は、良い面悪い面の両方を少しずつ兼ね備えていた選手なのです。

ジーコ:あなたの日本での生活、仕事や日常での私生活も含め、いったいこちらではどの様な日々を過ごしているのですか?

モットラム:日本は魅力的で安全な国だと感じています。私は日本サッカー協会とJリーグ、そして全クラブの多大なる協力を頂いております。お蔭様で大多数の皆さんと好関係を持つことが出来ています。スコットランドとイングランドでは、サポーターはレフェリーを嫌っており、私がかの地でレフェリーを務めていた頃は現状とは違いました。でも、来日してから全てが変わりました。例えば、私が大阪でレフェリーを務めた試合で、敗北を喫したビジター・チームのサポーター達が私と共に同じ電車で戻ったのです。私は欧州ではこの様な行動は決して出来ませんでした。

ジーコ:ブラジルでは殺されかねませんよね(笑い)私は日本でのあなたの最後の試合で、敬意を表して捧げられた大変美しい式典であなたがとても感動したことを憶えています。あなたは当分日本に滞在するつもりですか?

モットラム:当初の私の日本サッカー協会とのコーディネーター契約は3年間であり、一度去年満了しました。そこで1年間延長したのです。つまり、今年の12月に修了します。その後のことは解りません。もし、彼らが残って欲しいとの意向があれば私は更新しますが、現時点ではまだ何も聞いておりません。現状では、12月には新たに就職活動をせねばなりません…。(笑い)

ジーコ:日本は規律が大変厳しく、彼らはフェアープレイを重んじております。私自身もそうであり、ルールも尊重しますが、サッカーに関しては、世界の流れを見た限りでは、日本人選手は純真過ぎるほどではないかと感じており、我々は悩まされているのです。あなたはどう思われますか?

モットラム:そう…、この心的状態を日本は変えなくてはいけません。私は、レフェリー達に過剰に尊敬し過ぎないように、彼らのそこの部分を改善するのに大きな問題を抱えております。そして、あなたも選手達に対して同じ難題を抱えているようです。でも、我々は試みているわけです。もしかしたら、30年後には変わっており、我々は今それに向けて何かを始めているのかもしれません。そして、誰かが終えるのです…。

ジーコ:最後にあなたに感謝したく思います。ブラジル人は今回のインタビューを読んで、私が日本で尊敬の念を抱き、日本のレフェリー及び日本サッカーの発展に大きく貢献した人物像を多少なりとも知って頂けたことでしょう。お蔭様で、私は30年間のキャリアでレフェリーとのトラブルは殆んどありませんでした。ブラジルには多くの元レフェリーの友人がいます。幾つか愚かなこともしましたが、しっかりと罰せられもしました。

モットラム:ブラジル国民はジーコの来日により、大変力強い同志を失ったかのように私は思います。何故なら、あなたがここで献身しているファンタスティックな仕事ぶりは、紛れもなくブラジルでもブラジル人選手に対して出来ていたわけです。でも、誰かが手掛けないとね! もしも、あなたが日本で日本人に対して努めている仕事をブラジルでも取り組んでいれば、紛れもなくブラジルサッカーは遥かに今以上の強力国となっていたことでしょう。私はあなたと同じ舞台で仕事をしていることを大変誇りに感じております。勿論、サッカーに関する知識とノウハウはあなたが遥かに上回っていることも認識しております。でも、私はあなたと同じ場所、同じ舞台で活動することを大変嬉しく思います。

ジーコ:光栄なお言葉大変ありがとうございます。

モットラム:こちらこそありがとうございました。

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