インタビュー

Evandro Mesquita(エヴァンドロ・メスキッタ)

[2004.5.10]

彼はマルチ人間です。分からないけどマルチミデイアという刻印は彼から生まれ出たのかも知れない。エヴァンドロ・メスキッタは『書く』『指揮を取る』『組み立てる』『弾く』『歌う』『描く』、それにもし膝さえ許せばいまだにその辺でペラーダ(草サッカー)をやっています。現在はもう50を過ぎようとしていますが(信じられる?)、 BLITZ のそのリーダーは体力を30代の状態で保っています。

このインタビューはサイトにて特別に行われました。80年代に BLITZ が好んだ絵葉書、ウルカの丘の上で行われました。親しい関係なのでカリオカ(リオっ子)の夜をテーマとしたショーで「リオの男子」をミュージシャンが流している時にエヴァと話しました。ラランジェイラスのトリコロール(フルミネンセ)のこと、いくつかの草サッカーのこと、ボールと音楽を絡めた伝説的な話、不機嫌な批評、痛み放題の膝、トランプの切り札のこと、竹に弓矢にその他もろもろ。

えっ!私が言っていることがよく分からないって?分からなくてもいいよ、このインタビューの内容を読んでくれれば。私達の後釜がいない「リオの男子」のビーチの哲学を。

サイト-赤黒軍団(フラメンゴのこと)に敬礼!エヴァンドロ! (笑い)

―どうすりゃいいって言うのかい。

君のトリコロール(フルミネンセの事)には満足しているかな?

―まぁね・・・、ブラジル全国選手権ではリオ州選手権とは違うことを期待しようかな?

フルミネンセが超大物取りをしてメデイアでは“アンダー40”などと皮肉られていたけど、君は疑問視している?それとも信じられる?

―僕は彼らを信じるよ。どんな契約でも特に経験豊富なクラッケ(スター選手)などはフルミネンセには少なくともプラスになっているはず。だけどチームのベースである若手も忘れてはいけないよ。チームの為に汗を流し、めちゃくちゃ走るしニューフェイスも出ている。こういう集団はカッコいいよ。                                     

君はまだフルミネンセがいつもトップを争っていた良き時代のサッカーを思っているのか、それとも二部に落ちまいと頑張る近年を見てスタジアムから遠ざかっているかどちら?

―今は昔ほどサッカーを見に行っていないけど、気にはしているよ。耐えたり、応援したり、狂喜したりしてね。

サッカーのテレビ評論番組“丸いテーブル”とか見ている?

―家にいて何もない時にたまに見るよ。議論もしたり、納得しなかったり、怒りを覚えることもある。それに試合も観るよ、どんな試合でも好きだからね。

プレーは?私の知っている限りでは君の膝は痛んでいるので現在ではもっぱらフットバレーで遊ぶことが多いとか?

―そうなんだ。僕にはサッカーは出来ないからフットバレーとサーフィンをやっている。

だけどジーコがあの恒例の年末ペラーダ(草サッカー)に呼んで9番のシャツを与えたら君は受ける?膝は持つかな?

―僕の鏡はジーコだ。彼の膝が持てば僕の膝だって持つさ!(笑い)もしジーコが呼んでくれるなら足にあらゆるテープを巻いて、シルバーテープ(サーフボードに使うもの)も貼って、更にすね当てもしてプレーするさ!ジーコの招待は断るものじゃないよ。僕はこうしたペラーダでの思い出がたくさんある。

そこでジーコとの思い出の中で、ジーコがフィールドの真中をボールを持って抜いていた時はフルミネンセのサポーターとしてはどんな心境だった?

―そりゃいつも冷や汗で酸欠状態だったよ。怖さと感慨が混ざった複雑な心境で見ていた。相手チームには凄い奴がいた。サムライでもあり、それが天才ジーコなのだ。もちろんフルミネンセが勝つように応援していたよ。だけどジーコのプレーを見るのも楽しみだったね。

君が一番大事にしているジーコの思い出とは?

―うーん、一つ選ぶとしたらウルカで一緒にやったペラーダの時のことかな。ジーコがプレーするのを直ぐ横で見ていた。数メートルのところで、彼と壁パスの交換もした。彼がこっちでループ・フェイントをかけ、あっちでもループでかわし、相手の海軍チームのキャプテンが苦戦しているのをずって見ていたんだ(笑い)。彼が凄いゴールを叩き込んだのも見たね。ウイングの位置から入ったジーコはサイドにフェイントを仕掛け、センタリングする振りをした。キーパーは彼がセンタリングするのかと思い前に動き、そこで彼は三本指キック(アウトサイド)で蹴ってゴールしてしまった。その後ゴールを祝いながら彼は言った“いやあ、想像豊かなキーパーは大好きだよ”。(笑い)あの時のすぐそばでプレー出来たことは最大の喜びだったね。これでも僕はたくさんのサッカー選手とプレーしたけど、ジーコは本当に素晴らしいよ。 

ジーコの現役時代、どの時期が一番すごかった?

― どの時期でも素晴らしくてマジックだったよ。僕はいつも彼を応援していた。一度フラメンゴ対コブレロアの試合を観た時、彼は凄いゴールを決めた。それにアルゼンチン代表との試合でもパサレラにループを仕掛けてゴールしたこともある。僕はジーコのファンだよ。

ではひどい思い出は?トリコロール(フルミネンセのサポーターとして)、エヴァンドロ・メスキッタがジーコにいちばんやられた時とか?

―ああ、ジーコは何度もフラフル戦(フラメンゴ対フルミネンセのクラシコ戦)で僕を苦しめたね。特に86年に彼が復帰した時の事をよく覚えているよ。彼が3点決めてフラメンゴが4対1で勝った時の試合前に、フルミネンセのサポーターは「怪我人、怪我人、」と野次っていた。僕は反対に「そんな事言うなよ、彼を挑発しないでくれよ、頼むから彼を静かにして置いてくれ!」と言いながら神に祈ったね。(笑い)あの試合で彼は3点ぶち込んでサポーターを黙らせた。僕は叩きのめされた気分だった。僕は彼がゴールするのを期待していた、でもフルミネンセにはそれより多く点を取って貰いたかったね!(笑い)

マラカナンの芝を初めて踏んだ時の話を話してくれないか?

―あれはサンタクロースを迎えるイベントの時だった。あの頃 BLITZ は凄く人気があってそれの参加を求められてね、満員のマラカナンで楽器を弾きまくっていた。無邪気な子供達が多かったね。それは我々のイベントへの参加を証明してくれた。あの頃、中にはこうした所へのバンドの参加を批判する人もいたんだ。(バンドの元ドラマーのロボンもあのようなエベントに出る事を嫌った一人だった。)だけどその中で、誰も僕のように運動靴に半ズボンといういでたちの者はいなかったね。とにかく草サッカー野郎には初めて神聖なる場所に足を踏み込むなんて、他に例えようのない大変な事だったんだ。更衣室からあのトンネルを抜けて。そこで僕はジュバーのドラムの中にサッカーボールを隠して持って行った。始めは2曲演奏して大好評だった。マラカナンが全員で歌って、そんなこんなで、それでおしまいの時に僕はボールを持ち出して舞台から飛び降りた。ボールを放り出してゴールに向かって行ったよ。

それは君だけのスクリプト(台本)だった?

―そう。僕だけのもの。僕は絶対それをやると決めていた。 BLITZ 自身それがどういうことなのかよく知らなかったしね。バンドの中には出演が気に入っていない奴もいたみたいだけど、僕はゴールに向かっていた。そしたら熊とか動物のぬいぐるみを着た連中がまとわりついて来て僕のボールを取ろうとした。僕は無言で亀を、アルマジロを、熊をドリブルして行った、そしたらガードマンも飛び出してきた。それでも彼らをかわして「前をどいてくれ、前を空けてくれ!!」と怒鳴りながら前進した。中には僕のすねを蹴るやつもいたが最終的にゴール前に飛び出してネットに放り込んだ。その瞬間マラッカ(マラカナンのこと)はゴール!と叫んでいたね。それで僕は目的を達成した。僕はボールを取ると今度は観客席に向けて蹴ろうとしたのだが、その時はもう歌いまくっていた後だし、フィールドの半分ぐらい走った後だし、変な動物達はまとわりつくしでヘトヘトだったよ。(笑い)でも最後には客席へ蹴ってやることが出来たけどね。それで僕の精神は洗われた気分だった。 「マラカナンでゴールを決めてやったぞ!」まだその後4回もあそこで試合に出られて、3点も取れるなどと想像もしていなかった時代だった。

ジーコとは一緒にマラカナンで試合したの?

―いやそれがないんだ。ジーコとは他のペラーダでしかない。でも僕の初めてのゴールはハウール(プラスマン)の引退試合だった。フラメンゴの元キーパーのね。それで後でジーコが出る予定だった。モーゼルのゴールを見たよ、リベリーノも・・・・・

話を戻して、“聞くのは危害を与えない”のシリーズで:なぜ何人かの批評家は BLITZ のマラカナンでのクリスマス・イベント出演を批判した訳?

―あの頃のパンク・グループはスタイルのイメージが悪かったのが原因かな。特異な内容と態度を取っていたからね。だけど僕が言ったように批評家の中には誰もサッカーをやったことがない。たった一人の草サッカー野郎がマラカナンに行くために、そしてやりたい事をやってのけただけなんだ。

BLITZ の話が出たところで、サイトの読者はこれから先、何を期待していいかな?君たちは何を企んで歩いている?

―それより、ジーコはもう何度も BLITZ のコンサートに行っているよ。カネコンとか ATL ホールとか。彼はいつも僕の役者としての舞台も観てくれている。ジーコもこのサイトも我々が今度出すディスコを期待していいよ。今我々が大事に育てているところで、未知で興味深いものです。また復帰して僕等の持っていたスペースを埋めたい。日々の出来事やユーモアも含めてね。以前やっていたショウもやりたい。

その滅多にないディスコは君たちが計画していたあの音響ディスコと生演奏の代わりになるもの?

僕等はもう再録はしない。アイデアは DVD を作ることで、半分ドキュメンタリーっぽくしてその中に曲を入れるというもの。“ BLITZ のドキュメンタリー”がこの新しいプロジェクトの名前。このフォーマットにはアンドレー・ヴァイスマン(元 MTV とマルチショー)のアドバイスを受けます。まあ、どんなものが出来るか観ましょう。僕は BLITZ が舞台に出るのは間違いないと思うけど。

80年代の連中が戻って来るのは純な御都合主義だとかいう人達になんて言えますか?この不機嫌な話のビジョンをどう思う?

―まったく意味もない馬鹿げたことだと思うね。僕等は音楽家であり、アーチストであり、それなりの歴史もあるし、それを書き続けたいという我々に誰がノーと言える?勝手にしたらいい。僕等は僕等の仕事を見せたいだけ。もしそれが一年で終わろうと僕等は楽しめるし何がしかも稼げる。それも誠真なる稼ぎ、素晴らしい事。仕事は我々のもの、皆が好きでやりたいことをしている。

もう君は私に言ったことがあるけど、“人生ってトランプのブラックジャックのようなもの。僕等はあがる事ができる可能性に注意している必要がある。”とね?

― そう言うことです。あがり方にも色々ある。現実も同じ。

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