インタビュー

Andrade

[2005.01.28]

アンドラーデは“CFZの下部組織”での経験を積んで来た人である。そこで彼は監督としての第一歩を踏み出し、サッカー選手として輝かしい経歴を残した後、 CFZ で監督として第一歩を踏み出した。運動能力にも恵まれ、ボランチとしても効率良いプレースタイルを持つアンドラーデは、羨ましい限りの経歴の持ち主だ。多くのタイトルの中には、ブラジル選手権4回優勝、世界クラブ選手権1回、リベルタドーレス1回が含まれ、それはすべてフラメンゴ6番のユニホームの持ち主だった頃だ。ブラジル選手権はヴァスコでも1回取っているのでトータル5回ということになる。 現在アンドラーデはフラメンゴ・トップチーム監督、ジュリオ・セザール・レアーウのアシスタントコーチをしている。メールでのやりとりで、彼はフラメンゴに入ったことと、そのチームが今年どんな期待に答えられるかなどについて話してくれた。 

アンドラーデ、君の事を調べると幾つかの本では君はジュイス・デ・フォーラで生まれたと書いてあるけど、他の本 ではカリオカ(リオっ子)とも言う。いったい何処で生まれてどうやってフラメンゴに入ったのか、興味があるのだけど?

私はジュイス・デ・フォーラで生まれたミナス州人ですよ。リオに来てフラメンゴの入団テストを受けたらそのままそこに居ついて、1989年までいる事になった。その間にタイトルもたくさん取りました。 

既にフラメンゴのファンだったようだけど、いつクラブに来たのですか?

本当はね、ジュイス・デ・フォーラからリオ・デ・ジャネイロに来た頃は、とても小さかった。フラメンゴの下部組織に入った時はまだ何処のチームのファンでも無かったです。

それで、フラメンゴのプロとしてユニホームを着て試合をしたのはいつのことですか?

それは1976年だった。私達の仲間ジェラウドが亡くなってから数ヶ月後の事だった。フラメンゴはセレソンを相手に2対0で勝った。私はジャイメと交代で入ったのが初試合だった。

その年に君はヴェネズエラにちょっとの間行って来た・・・ 

そうなんだ。フラメンゴからレンタルされてね、それでULA、ロス・アンデス・大学に2年いた。その後またフラメンゴに戻って州選手権で優勝した。実際には2年連続優勝だったけど。それからざっと10年同じクラブであのタイトルが鎖のように繋がる時代を過ごした。 

君は国内を回って、ヴァスコでもプレーして他州も周り、戻った時には旅行かばんにトロフィーが一杯詰まっていた・・・・・ 

1988年には一年間イタリアにも行って来た。ローマだったけど、すぐにブラジルへ戻ってヴァスコに入った。その89年に私の5度目 のブラジル選手権優勝をしたね。国内もあちこち回った。デスポルチーバではビトリア州選手権優勝、マットグロッソ州ではオペラーリオ・デ・ヴァルゼア・チームで優勝。88年にはブラジル代表でオーストラリア200周年記念大会でタイトルを取っているよ。  

サッカー選手を引退する動機は?

まだ引退する年でも無かったんだけどね。ジーコが呼んでくれてジーコ・サッカー・センターのスクール指導者として仕事を始めることになったから。後でCFZ・ド・リオチームが出来てから約10年クラブの監督として勤めました。2年ジュヴェニール、2年ジュニオールとあと3年プロ・チームを担当しました。

アンドラーデ、君はいつも監督になる事を考えていたのですか、それとも自然にそう成って行ったのですか?

考えてはいたけどね。現役の頃からそれが自分の引退した後の目標だと思っていた。だけど、そうなるには時間も必要だと思うし、その時期が来た時に起こる事だと思う。現在私はアシスタントコーチだけど、いつか私が監督になれる時が来るのだと思っています。

君は何度かチームの指揮を取って結構良い成績を挙げた評判もある・・・・・

そう。アベウ・ブラーガ監督が辞めた後引き継いで3試合やって1回勝った。パウロ・セーザル・グスモンが来て、辞めたあとも1勝1分け。その後リカルド・ゴーメスが来て私はアシスタントコーチになり、彼も辞めてまた引継ぎ、7試合したけど1回アトレチコに負けただけだった。

今のフラメンゴは大変困難な状態であるが、2005年には何を期待出来ますか?

全てのサポーターが希望するように、常にタイトルを争うあのチームに戻って欲しいね。昨年の様な状態にならないで欲しい。フラメンゴはブラジル・サッカーのエリートだし最先端を行かなければいけないよ。落ちるのではなくてタイトルに絡んで制覇しなくてはね。

それは大事な点ですね。そうしたフラメンゴの不成功や敗北は下部組織の育って行く年代に対して悪影響となりますか?  

そういう心配はもちろん私にもありますよ。サポーターたちは下から育ってくるのを気長に待つ我慢は出来ない。早期に結果が欲しいですからね。若い子たちには少し時間を与えないといけない。あまり強く要求すると、かえって成長を妨げるからね。適切な時期が来るまで待つ忍耐とバランスも必要です。だからいつも 2 人か3人ぐらいは余裕を持ってチームに入れておく必要があると思うし、そうする事で若手選手への圧力を和らげる事にもなります。

君のピッチの内外、下部組織での経験から見て、フラメンゴ・チームの中に将来赤黒ユニホームを着た偉大なチャンピオン選手が出てくると思いますか?

私はフラメンゴの将来は良くなると思いますよ。チーム内で良い選手を育てると言う将来的な道を取る必要があると思います。今までに実際に見ているのはジョナタスやジュニオルがいます。後続でロブソンやフェリッペ・ガブリエルなどもいます。恐らく彼らと他の何人かで本当に良いチームのベースが出来ると思います。だけど、彼らに対しての実績を辛抱強く待つ事が必要ですね。  

君のジーコとの関係はどんな感じですか。君たちは一緒にプレーもしたし、ジーコは君をチームの監督に呼んだほどだけど?       

いつも良い関係だったね。ピッチの中でも外でもね。ジーコは私にとって良い鏡でした。人間としても、性格的にもそれは私が成長するにあたってジーコはとても大切な存在でした。私は彼に借りがある。ジーコは、私が今一人の人間である事にとても影響しているのははっきりと言えます。  

CFZ・ド・リオは、アンドラーデあなたが長く勤めたところだけど、今でも大切だと思いますか? 

それは間違いないです。2003年にはあと少しで、一部リーグへ昇格そして優勝をするところだった。ホームでポルトゲーザと試合をした。まったくその日は何をやっても上手く行かない日だった。もう一部リーグへの昇格は目前だったのに。今でもいつもCFZの事を聞いたりして気にかけているよ。まだ私がいた頃からの選手もいるしね。遠くにいても私はサポーターとなって応援している。出来るだけ早くリオ州の一部に昇格して欲しいと願っているよ。

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