ジャパンコネクション

別れを告げる時

[2006.6.27]

どんな別れも非常に辛いのは世の常ですが、今回に限っては、2006FIFAワールドカップドイツ大会でのどんな結果になるにも関わらず、事前に自己決断を下して、川淵キャプテンにも日本代表を離れる意思を伝えていたこともあり、既に心の準備をしていました。何故ならば、4年間続いた日本代表での期間と、住友金属に初めて来た時からの鹿嶋時代も含めた合計15年間の日本でのサイクル(周期)に終止符を打つ瞬間が訪れたのです。今週の月曜日、私は習慣化していた日本サッカー協会への行程を、監督としてマスメディアとの会見を行なうべく、最後の役目を果たしました。この「別れ」が、今週のジャパン・コネクションのテーマです。

記者会見では私の仕事や2002年の就任初期からの難題に関して、更には川淵キャプテンから日本代表監督就任への誘いを頂いた時点から自己が試みたことなどを話しました。実行した業務の総括を行ない想起したことは、意義あるアジアカップ制覇などにより大陸においての主導権を保持出来た事実やアジアの主要ライバル勢に対する好ましい回顧録、更には他大陸の異なるサッカー流派との対決での幾つかの好結果です。でも、私自身が仕事をする上で影響を被り、紛れもなく代表を引き受けるいかなるプロフェッショナルをも遭遇するであろう側面、即ち、日本人選手がフィジカル面に関して重大な問題を抱えていることも敢えて明確にしました。

この件に関しては、以前から繰り返し指摘しており、日本の食文化による基礎体力不足はサッカー発展に於いて重大な障害であり、バレーボール界が体験しているドラマに相違しています。過去日本はこのスポーツ種目での主導権を握っていながらも、正にこれが所以に後退の道を歩んだのです。更には、イランは正にフィジカル面が恵まれた故にアジア大陸に於いて日本の最大のライバルと化したともコメントしました。

1990年代から、問題の深刻さは常に認識しており、状況改善への援助はしてきました。でも、実際には現世代の選手達でこの問題が解決する訳ではありません。下部組織年代から選手達のフィジカル面に真剣に着手する必要性が有り、クラブでは14歳の年代から肉体作りに取り組める環境を与えなければいけないのです。こちら日本では実践が受け入れられ難い、筋力トレーニングを習慣に取り入れることが基本的だと言えるでしょう。ブラジル代表のカカー選手やホナウド選手などを例に挙げて話をし、更には私自身、53歳の年齢にも関わらずに、肉体的基盤との関連により、ボールをキープしながら日本の多くの若き世代の選手達に対してプレーでアドバンテージを有せられることも述べました。

平均身長が伸び、パワーが重要とされつつある現代サッカーの時代に、我々はワールドカップで長身のオーストラリア代表及びクロアチア代表と対戦しました。そして、我々の状況を悪化すべく、敵2カ国との闘いは耐え難い高気温の中で行われ、更に我らが選手達の体力消耗を促進したのです。かつて、我々は体力面で問題が生じたことなどない事実を強調しておく重要性もあります。問題どころか、我々の選手達は常に飛ぶ鳥をも落とす勢いでした。でも、高気温は特に肉体構造が優れていない選手のパフォーマンスの低下を招きます。

中には約8ヶ月間も筋肉障害の治療に時間を費やすなど、度重なり選手達に襲い掛かる怪我の悲劇と共存しながらワールドカップへ辿り着くのは正に茨の道でした。他にも、2~3回手術をした選手も存在します。この4年間で6人の選手が骨折をしたのです! 私は、2006FIFAワールドカップドイツ大会への出場権を奪取した直後に、この欠如した側面を補うべく食事習慣改善の説得を試みました。でも、遅すぎたのです。そして、最もベストコンディションだと感じたメンバーを招集したにも関わらずに、23名を一同に会して紅白戦が行なえたのは僅かに一度のみでした。正に至難の業だったと言えます。それと並行して、敵は筋力に勝りながら、怪我の発生率も少なく、これらのパワーを試合での質とのコンビネーションに専念していたのです。

私は日本人選手達の技術能力にはかつて疑いの余地すら持ったことは無く、正に試みたことはスピードをこの技術力と調和させて、最大限に短所であるフィジカルコンタクトを避けさせることでした。アジア大陸では上手く機能はしたのですが、私が期待していた常時安定した機能性には欠けていたのです。この試みが成功するには、チームに有効的な素早いカウンターアタックが必要となります。ワールドカップの試合では僅かに一度成功し、ブラジル人サッカー関係者からもワールドカップベストゴールの一つに挙げられている、あの素晴らしい展開から玉田選手のゴールへと繋がったプレーだけなのです。残念ながら少な過ぎました。

このお別れの記者会見では、私に与えられたミッションを実行するに当たり、協力してくれた日本サッカー協会、鹿島アントラーズ、住友金属、日本国民、選手達、スタッフの皆さん、そして全ての関係者の皆さんに心より感謝の意を伝えました。そして、監督業への転職をも考える程に、私はこの業務に好意を抱いたのです。

私は日本にプロ化の兆しと共に来日し、今日では明らかにその進化があらゆる方面で見受けられます。次のステップは最大なるチャレンジであり、今後はオーストラリア、中国、そして旧ソビエト連邦の国々のサッカーにも十分に目を見張らせる必要性があることを敢えて警告しました。新たに就任する指揮官に幸運を祈ります。そして、私の後継者の成功を心より応援しております。

我々は一緒に勝利も敗北も味わい、あらゆる体験をしてきました。そして、サムライブルーは今後も前進するのです。再度、最初から最後までサイトを通じて長年に亘る道程を支援し続けて頂いた全ての皆さんに心から感謝致します。これからも、人生は終わることなく、新たなるチャレンジが待ち受けていることでしょう。

アリガト、ニッポン!

>一覧へもどる