ジャパンコネクション

かの時代のカーニバル如く…

[2006.2.27]

私が本コラムを著述しているこの瞬間、月曜日のブラジルではカーニバルが激しく盛り上がっていることだと思います。リオ・デ・ジャネイロではサンボードロモ(カーニバルのパレード会場)でのパレード2日目の準備がされ、街頭ではブロッコス(カーニバルの団体)でにぎわっていることでしょう。バイーア州ではあらゆる好みに応えるべくトリオ・エレートリッコ(3人組ミュージシャンを乗せた音響車)が熱狂的な演奏を繰り広げ、そして同じくペルナンブッコ州やその他の州でもカーニバルは熱く燃えているでしょう。そして、ここボンでは気温は零度ですが、同様にカーニバルは存在します!ドイツで見るこの種のカーニバルのお祭りが、今週のジャパン・コネクションのテーマなのです。

ドイツは雪と凍えるような寒さの中で、ラテン民族やブラジル国民の情熱とは程遠い国民性の国だという感じがあります。でも実際には、歓喜に国籍は存在しません。勿論、氷点下という気温ではありますが、紛れもなくボンの祭りもカーニバルだと認識出来ます! そして、ケルンも含め、その他の都市へとまるでローテーションするように開催されるのです。

ドイツ・カーニバルのお祭りを見る為にホテルの部屋から降りた瞬間、ベランダにたたずんでの回想時にありがちな、懐かしさを感じました。正確には私の幼年時代にまでタイムスリップしたような気分でした。ドイツではブラジル同様にエスコーラ・デ・サンバ(サンバ団体)による熾烈な競い合いは無く、又はバイーア州のブロッコスやトリオ・エレートリッコによる大盛況な祭典でもなく、お祭りはシンプルで自然だと言えます。ここでは個々の自発的なお祭りへの参加意欲に基づいて行なわれます。そして、リオ・デ・ジャネイロのみならずブラジル自体のカーニバルも過去はこの様な存在でした。信じられないかも知れませんが、事実なのです!

私が6~7歳の少年時代には、土曜日がフレーヴォ(街頭やサロンで行なわれるテンポの早いカーニバルのダンス)の日で、日曜日にはエスコーラ・デ・サンバがパレードを行い、月曜日をハンショス(行進団)が、そして火曜日にソシエダーデス(クラブ)の出番だったことを記憶しています。ハンショスに関しては大会が行われ結構良い勝負でした。そして、キンチーノにはデシヂードスとアリアードスの2団体のハンショスが存在したのです。しかしながら、デシヂードスが常時タイトルを獲得するという、いわゆるベイジャ・フロール(リオ・デ・ジャネイロの名門エスコーラ・デ・サンバ)的存在でした。

でも、私の父は実際には山車を主としていたソシエダーデスのパレードを観に我々を連れて行ってくれました。テネンテス・ド・ヂアーボ(悪魔)の存在があり、カラーが黒と赤(フラメンゴの色)だと言うことで、直ちにひいきにしたのです。演奏される曲自体は現在よりもスローテンポでしたが、ブロッコスも含め、音楽が欠けることは決してありませんでした。それら全てが現代とは異なるリズムを醸し出していたのです。

此処ボンでは未だにその雰囲気の名残がとどまっており、その理由からこの様な回想にふけたのです。人々は自宅から各自色取り取りの衣装を取り出して、まるで6月のお祭り、バースディーパーティー、そしてカーニバルを混合させたような仮装で街頭へと向かいます。おばあちゃんからお孫さんまで、ハンショスやソシエダーデスの山車のパレードを全員で一緒に観に行ったかの時代のようにです。私の少年時代にキンチーノに共存していた、クローヴィス(マスクで変装した少年達)やこうもり、悪魔、、幽霊、そしてカッハスコ(残忍な人)などの仮装者を回想しないではいられません。

こちらで興味深いのはパレード中の山車から物を投げる習慣です。リオ・デ・ジャネイロでは、土曜日に行なわれるチャンピオンズ・パレードに参加するイタリア系のエスコーラ・デ・サンバは必ずぬいぐるみを投下するのですが、ボンでは何でもありなのです。飴玉、玩具などですが…、観衆は記念品を持ち帰られるとのことで楽しみます。そしてこれら全てが楽隊の演奏に則って行なわれるのです。これ以上のタイムスリップが必要でしょうか?

世界中で独特な特徴を有するカーニバルの魔力を観るのは大変美しいことです。更に、此方にいながらにしてベイジャ・フロール(リオ・デ・ジャネイロの名門エスコーラ・デ・サンバ)が素晴らしい内容のパレードをこなしたとの情報も得ております。私も此処ドイツの地からエールを送り続けます! そして、読者の皆さんも残り少ないカーニバルの日々を存分に楽しむことをしながら、平和で喜ばしい時を過ごすことを願っております。

…ということで、来週またお会いしましょう!

それでは、皆さんごきげんよう!

ウン・グランデ・アブラーソ!

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