ジャパンコネクション

過ちの重大なる意味

[2005.10.18]

Edilson Pereira de Carvalhoレフェリーによる試合結果の工作スキャンダルが発覚して以来、クラブ勢のブラジル国内のレフェリー陣に対する不満は限界に達しています。レフェリーのミスや法廷の誤りなど、ありとあらゆる欠陥までもが攻撃の格好の標的と化しました。しばしば注目を浴びるのは甚だしく試合の行方が左右されるミスなのです。でも、幾度となく一見目立たないミスが、同等又は更なる影響を試合に及ぼす可能性があります。結局のところ、試合でのジャッジ・ミスとはいったい何を意味するのでしょうか? これが今週のジャパン・コネクションのテーマなのです。

このレフェリー陣に対する批判殺到の最中、幾つかの詳細が後回しになっていることに私は注視しています。前節の、フラメンゴが6対1で大敗を喫した試合で、流れを変えていたかも知れないプレーに関して殆んど誰しもがコメントをしていません。Alicio Pena主審がアモローゾ選手をピッチにそのまま残して試合を続行させた時点で、決定的な混乱を招いたのです。サンパウロFCの選手が不誠実なる肘打ちをジョナタス選手に浴びせた行為に対して罰していれば、もしかしたらヘナット選手は自制を無くすことなく、退場を命ぜられずに済んだかも知れません。更にその後、アモローゾ選手はサンパウロFCの得点をも決めているのです。

正にこれが、今大会数多く生じたであろう、一見どうでも良いような凡ミスの一例なのです。でも、ヘナット選手はフラメンゴにとっては重要な選手でありながらも退場を余儀なくされ、その反面、10人での闘いを強いられるべきであったサンパウロFCの、同じくチームにとって不可欠な選手である攻撃者はピッチに残ったのです。私は決してフラメンゴを弁護するために発言しているわけではありません。何故なら、フラメンゴは技術面で制限されており、私は常にチームを批判の対象としてきました。でも、要因は事実として受け止めるべきであり、実際に試合は退場の時点では1対1で均衡が保たれていました。非良心的なスコアとなった最終結果では判断し辛いようですが、正にジャッジミスに直接関連しているのです。

コンフェデレーションズ・カップでの日本対ブラジル戦でも似通った問題が生じました。キックオフ直後の我々のゴールが無効にされていなければ、試合の行方、更には大会自体の粗筋が変わっていたかも知れません。形勢不利に立たされたブラジルは攻撃を仕掛ける必要性に迫られ、スペースを与えざるを得なくなり、試合の展開も異なっていたことでしょう。要するに、あるレシピで主要となる原料の種類を増やす、又は減らすのではなく、あくまでも調味料の分量を変更することなのです。微妙な小差が最終的に別のレシピとなる可能性を秘めています。例え話ですが…。

時間を更に遡って、1978年のワールドカップで、私がネリーニョからのコーナーキックで決めた得点を記憶しております。ボールの弾道がゴールへ一直線の瞬間に主審は試合終了の笛を吹いたのです。スウェーデンに対して2対1となるべく得点でした。我々の士気を高め、更にはブラジルを後程アルゼンチンとの直接対決から避けさせた、勝利となっていたのです。欧州組との対戦となり、ワールドカップの歴史は異なっていたかも知れません。これらは実現性に基づいた仮説なのです。

更には、紛れもなくイギリス選手陣を惑わせて、アルゼンチン人名選手の5人抜きドリブルからのスーパーゴールをその直後に生ませるに到らせた、1986年のワールドカップでのイングランド戦でマラドーナ選手のハンドでのゴールを挙げることが出来ます。試合のある局面で敵の動揺を突いて計画的なドリブルを仕掛ける術は私自身も使用していた手段なのです。マラドーナ選手のあの「ゴッドハンド」は歴史が物語っているよりも遥かに深刻だったのかも知れません。

しかしながら、このレフェリーのミス問題をある一種の「魔女狩り」と化さないことが重要ではないかと思います。過去から現在に到りレフェリーは常にミスを犯しているのですが、何が違うかと言いますと、今日では彼らに対しての監視が厳しくなっていることなのです。あらゆる角度からのカメラやジャッジ・コメンテーター(評論家)など…。近年では著しくプレッシャーが過大化しているのです。

ブラジルのみではなく世界中に於いて見受けられる、これら一連のレフェリーのミスに対して、私が得た教訓としては、レフェリー階級の団結の重要性なのです。正式に認知されていない職業かも知れませんが、テクノロジーが及ぼす抑圧により、レフェリー陣にスペシャリストと化す意識を誘発させる必要があります。彼らはミスを減少させるためには、更なる練習とフィジカル面の向上や、より一層の学習…などが必要なのです。計り知れない金銭的損害をも含めて、ことによったら槍玉に挙げられかねない選手達や更迭の道を辿らされる監督達の運命が、彼等だけではなく、現在では彼女等も含めた、レフェリー陣の手に掛かっています。今日では莫大な金額を動かすビジネスと化したこのスポーツがアマチュアの主審の笛と線審のフラッグのジャッジに委ねられているのです。

これらのコンセプトを見直す必要性があるのではないでしょうか。日本での監督としての立場から観察することは、レフェリーのジャッジが決定的な試合での敗北後に、選手達の精神面をケアすることが如何に困難かなのです。選手達の士気は低下し、発する言葉すら見つかりません。ピッチ上でプレーをする選手達と同様にしっかりと準備を整えたレフェリー・トリオの存在を試合で期待しています。ミスは避けられず、常に発生するでしょう。でも、事前に回避出来ていたのではないかと感じるのは余りにも悲痛であり、スポーツの魅力の一部とは決して言えません。

・・・ということです!

皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!

それでは、また来週お会いしましょう!

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