ジャパンコネクション

神の使者よ、さようなら

[2005.4.5]

人の一生には、永久に起こり得ない想像すら絶する予期せぬ瞬間に直面するものです。私はサッカーの恩恵にて、このような体験をする特権を与えられました。最も尊い経験を挙げると、先週の土曜日に悲しくも他界された、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世と2度の対面する機会です。その出会いは、私の脳裏に未だ鮮明に焼き付いています。

私は全ての宗教や宗派を尊重しますが、私自信は幼年時代からカトリックとして育てられ、法王と直接会える感動は特別なものでした。最初に対面する機会となった1996年には、言葉では表現できない程私は感動しました。それは、法王の司祭職50周年記念祭でのことです。法王は、既に2度に亘りブラジルを訪問されていました。私自身がバチカンへ出向いたことで、更に出会いは印象的で、特別な時間を演出してくれました。信仰歴を持つ、世界中から選ばれた他の4名のアスリートと共に出席し、正に運命的な出来事でした。残念ながら司教の名前は記憶していないのですが、彼はサォン・ジューダス・タデウ教会(ラランジェイラス地区)で、スータン(カトリックの聖職者の通常服)の下にフラメンゴのユニフォームを着て、チームの信心を訴えながら、ミサをあげていた司教のゴーイス神父達に関する一連の書類を取りまとめてくれました。そして、この話をバチカンへと送りました。ここで強調したい事実は、勝利の祈願や状況が困難な時にのみ教会を訪れていたのではなく、私達は神への感謝と信仰を伝えるために参っていました。そこで、フラメンゴは常に知名度が高かったことで、その話が選ばれ、私が直に法王へ語るためにお会いする機会ができました。

私はこの日を忘れることは、永久にありません。この日聖堂には約7000人からなる出席者がおり、全てを見守り、イタリアのRAIテレビネットワークが生中継でイタリア全土及び各国へ放映しました。歌を披露したのはグロリア・エステーファンであり、アスリートのマックス・ビアッジは、神の恵みを願ってバチカン周辺をバイクで旋回しながら練習していたのだと語っていたことを記憶しています。他に出席していたアスリート達は、クロアチア人テニスプレーヤーのGoran Ivanisevicとアフリカを代表しての2名でした。

法王は、常に特別な存在として在位していました。本コラムは法王への敬意を証し、数え切れない程の感激を私自身の体験談と共にも伝えたいと思います。法王が私の前に現れた瞬間、良き予感、オーラ、そしてその姿から発する感銘的なカリスマを感じました。定められた時間内で語れるように、繰り返し行ったリハーサルにも関わらず、息を呑んだのです。まるで時間が止まったかのように感じ、私の足は震え語る事が出来ないのではないかと思いました。不思議にも法王の表情が、平穏さを与えてくれ、私が語る神父達の物語に、法王、そして全ての出席者達が微笑んだのです。定かではありませんが、私は15メートル弱の位置で法王にお会いする事ができました。

その時点では、翌年にマルコ・マシエオ(当時のブラジル連邦共和国副大統領)の招待を受け、再び法王をガレオン国際空港(リオ・デ・ジャネイロ)で、妻のサンドラと共に尊崇するなどとは想像しておりませんでした。でも、ポーランド出身でKarol
Wojtilaの受洗名を持つ法王はゴールキーパーとしての経験があり、不思議にもサッカーとは縁の強いことを知っていたのです。聖なる姿に宿る人間的な側面が、更に出会いを神秘的なものにしたのでしょう。彼の存在に対して敬服する以外に、その姿に真の平和伝道師を感じ取れたのです。

私は素晴らしき時を数多く生きており、この超越的悟りを開いた人物に出会う機会を2度に亘り与えてくれたことを神に心から感謝しております。この様な一瞬が、我々の地球に於いての使命を多少ながらも理解させてくれます。法王ヨハネ・パウロ2世の隣で数分間ブラジルに付いて語り、彼の博学なる言葉を耳にして、その後は日常の生活に戻り、普通に日々を送ることは不可能だと言えます。これら全ての体験は我々に永久なる教えを伝えてくれるのです!

世界中を訪問しながら、平和の種をまき、多くの教えを伝えてくれた、ポーランド出身のKarol Wojtilaは、世界にとって特別なる存在の中生きたのです。彼はあらゆる路を
駆け巡り、信徳を伝道しながら、約130カ国、延べ715の都市を巡礼しました。真なる神の使者でした。彼の教えが地球上で芽生え、そして、安らかに休まれることを願います…。

・・・と、いうことで、また来週!

それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!

ジーコ直筆サイン

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