ジャパンコネクション

正義を尊ぶ

[2004.10.5]

私は先週、1990年のスポーツ庁長官時代にパラリンピック競技に自分自身が携わった事実を例に挙げて話をしました。ところが興味深いことに、週を同じくして「オ・グローボ」紙のヘナット・マウリーシオ・プラードのコラムに私の名が取り上げられ、このテーマが同時期に表面化したのです。今週のジャパン・コネクションでは、この機会に、本出来事に関して解りやすく説明を補足したいと思います。

全ての混乱はヘナット・マウリーシオ・プラードが、「グーガ(クエルテン)」選手も含めて主な国内の選手達が対立しているにも関わらず、COB(ブラジル・オリンピック委員会)はブラジル・テニス連盟のネウソン・ナスタース会長の更迭措置をとっていないと、コメントを記載したことが事の始まりなのです。この決裂が原因となり、ブラジルは、テニス界のワールドカップ的存在とも言える「デビス・カップ」で3rdディビジョンへ降格してしまいました。COB(ブラジル・オリンピック委員会)のカルロス・アルトゥール・ヌズマン会長は、この件に関しては係わる訳にはいかないのだとヘナット・マウリーシオ・プラードへ返答をしました。
そして1990年にブラジル柔道連盟のマメーデ会長の解任を試みるも法廷で却下されて、私は「困惑の種」を手にしてしまったのだと、例に述べたのです。

そこで私は、事実の説明をする必要ができました。当時、私はスポーツ庁長官の立場上、実際に介入を行いました。しかしそれはマメーデ会長の解任を決定するためではありませんでした。ここで強調しておきたいのは、私はマメーデに対しては何ら対立関係もなく、ネウソン・ナスタースに関しては特に面識すらないのだと言うことです。この件に対して、私が関心を持っているのは論点であり、一個人の権力と義務の限界なのです。

1990年に私がスポーツ庁長官に就任した当時、スポーツ組織への介入行使の権限は、独裁主義国家時代に設立され、スポーツ庁長官が会長職を兼任していたCND(国家競技評議会)であり、私自身にあったのです。ブラジル連邦共和国大統領が公示した暫定方策に基づき、民主制と多くの発言権を持たせるように、CBF、クラブ、スポーツ医学機関、プロスポーツ選手、アデマール・フェッヘイラ・ダ・シウヴァに代表されるアマチュアスポーツやブラジル・オリンピック委員会などの主要スポーツ分野の代表者を任命しました。他に自分の選択肢として、サッカー界の内情に精通しているネイロール・ラスマール氏とスポーツ法学者として名高いアーゥヴァロ・メーロ氏も代表者として指名したのです。

私にCBJ(ブラジル柔道連盟)に対する訴訟記録をももたらした、アウレーリオ・ミゲーオを始めとする選手団の誘発により発展した介入劇の不成功は、仲裁人に任命されたカロミーノ大尉が、本件に対して即時に必要な処置を執らず、ブラジル柔道連盟自体が取るべき訴訟手続きに対する判決を待ち続けたという行動不足にあるのです。そして、CND(国家競技評議会)の会議で、正にCOB(ブラジル・オリンピック委員会)の代表者2名であるアンドレー・ヒッシェル会長自身とホベルト・アブランシェス氏の抵抗を押し切り、仲裁は承認されたのです。興味深いのは、実際に私自身が当時の法律の執行力にてCND(国家競技評議会)の会長に就任した時点から、独裁主義国家時代に設立された組織が存在し続ける事態に反体を示しました。私は組織の消滅を指示し、「ジーコ法」で知られる法律が可決されたことで実現されました。

結局のところ、全員が政治的立場で携わっており、全ての混乱は決して驚きではなかったことが伺えると思います。例えば、COB(ブラジル・オリンピック委員会)の会長は各連盟の票にて選出されることもあり、いわゆる協約関係にあるのです。私にはこのような因果関係が存在しなかったことで、更なる圧力を掛けられました。私が元アスリートとしての立場で、選手階級と何よりもブラジルスポーツ界の発展のために闘っている最中に、権力の永久化を欲する人物も中には存在したのです。

この柔道の件に関しては、私は決して「困惑の種」を手にしたとは思っておりません。マメーデが復帰したのは事実ですが、以後新たなる進路へと向かい始めたのも現実です。時間は要しましたが、選手達は解任させることに成功し、そして、私自身のイニシアチブがスポーツの日々を生きる選手達の願望を安定化させるべく貢献が出来たことだと信じております。今日では、柔道は以前とは遥かに異なった見解が持たれています!

この全ての出来事から得る教訓は、各自が何を出来得るかを認識し、更には何処までやるべきかを把握すると言うことです。でも、スポーツと政治が混合することには常に危険が伴います。私は政治家の道や公選の役職にはかって興味を持ったことがないからこそ、自己の責任から逃れたり、これらを放棄したりするなどは決してあり得なかったのです。当時、私が達成したかったのはアスリート達への投票権の獲得でした。紛れもなく、テニス連盟の選挙戦が違う形態で機能していれば、この状況には至っていなかったことでしょう。私の任期中に熟考された法令の趣旨は、代表権の拡大であり、多少なりには成果が出たと言えます。サッカー界では、以前はCBF(ブラジルサッカー連盟)の選挙戦には各連盟のみが参加していたのですが、現在では1stディビジョンのクラブも投票権を得ています。でも実際には、ある事態の判定に対する態勢拡大を図るために、法案は3ディビジョン(1st、2nd 、3rd )の参加を予測していたのです。

W杯を4回優勝した経験を持つザガーロや、オリンピックでメダルを獲得した選手達、偉大なるスポーツ界の著名人である、マリア・エステル・ブエーノ、エーデル・ジョーフレ、グーガ(クエルテン)、ネルソン・ピケ、エメルソン・フィッティパルディや、ブラジルのために貢献し続ける数多くの人物達も含めて、彼等全員が何れかの形でそれぞれの種目連盟での選挙戦に参加できなければいけません。各連盟が選手達の参加権を定めて、定款に記載するべきなのです。でも、有権者を増やすことで永久支配権の保持が困難になり、民生制は何れかの政治家にとっては障害を及ぼす可能性があるのです。

この話題に関して、これ以上展開する価値があるのでしょうか。サッカーやスポーツ全般、または勝利などについて語るほうが遥かに意義深い事ではないかと思います。でも、今回はこのテーマには触れる必要があったのです。そして、ブラジルスポーツ界に従事する何れかの人物達が、虚栄心や政治欲をやめ、己がブラジル国民であることを想いださせるがためのメッセージとして残ることを期待しております。彼等は、我がスポーツ界を守り、民主制を保障するためにその立場にいるのです。

それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!
…ということで、また来週!

ジーコ直筆サイン

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