ジャパンコネクション

アメリカFCとジーコの兄弟

[2004.09.21]

先週の土曜日に、アメリカFC(リオ・デ・ジャネイロ)が設立100周年を達成しました。常に私が特別な慈しみを感じているクラブであり、周知ではないかもしれませんが、実際にアントゥーネス家とは強い絆で結ばれているのです。インファンチル・カテゴリー時代(中学生)に親善試合で一度だけ出場している私も含めて、兄弟5人全員がアメリカFCのユニフォームに袖を通したのです。母マチルデと父アントゥーネスの子供達で唯一「アゥヴィフーブロ(アメリカ)」のユニフォームを着なかったのは姉のゼゼーのみですが、彼女がスタンドから大いなる声援を兄弟達に送っていたのは紛れもない事実です!

注:ジーコの家族(アントウーネス家)
Jose Antunes Coimbra
Matilde da Silva Coimbra
長女 Maria Jose (Zeze) - ゼゼー
長男 Jose Antunes (Zeca) - ゼッカ
次男 Fernando (Nando) - ナンド
三男 Eduardo (Edu) - エドゥー
四男 Antonio (Tonico) - トニッコ
五男 Zico - ジーコ

兄弟で一番先にサッカーの道へ進んだのは兄アントゥーネス「ゼッカ」であり、彼は1967年にフルミネンセから移籍をしてアメリカFCのプロチームに所属しました。その時代、エドゥアルド、ジョアンジンニョ達と強豪チームを編成してグァナバラ杯で準優勝を成し遂げたのです。当時は、アメリカFCのスタジアムがリオ市北部のアンダライー地区に所在しており、エドゥーが既にチームでプレーをしていたこともあり、私自身のサッカーに対する過去の想いでもその頃を起源とします。現在に至り、エドゥーはクラブ史上最大のストライカーであり、アメリカFCの4つカテゴリーでの試合出場を僅か15日間で達成した記録保持者でもあります。

ナンドはアスピランテ(日本のサテライトにあたる)チームに在籍した経験があり、そして私は、ガーヴェア(フラメンゴ)への道を心が命ずる以前に、兄トニッコと一緒にアメリカFCのインファンチルで一試合出場しました。その通りなのです。私もサッカー人生で、「フラメンゴまたはアメリカ?」という選択する問題に直面した時期がありました。勿論、私の決断は言うまでもないでしょう…。

過去を想いだすことで、タイムスリップを図って自己の人格形成に関して語らずにはいられません。私は兄達の練習を見学するために学校を抜け出していたのです。サッカーの戦術に関する初歩的な基礎知識はピッチ際でセットプレーの練習を観ながら得ました。ショートコーナーでの特別なプレーがあり、私は目の前での練習のみではなく、試合でも幾度となく直視したのです。練習中にはゴールキーパーとシュート練習をしながら、エヴァリスト・デ・マセードが監督としての道を歩み出す過程を観ました。私は、サッカーの世界に魅了されていたのです。

常に兄達への愛情から、彼達の選手としての人生を一時も見逃さないように全力を尽くしていました。アンダライーやバリリーなど、アメリカFCの行方にはところ構わずに姿を現していたのです。マラカナン・スタジアムでは、私を観察させるためにセルソ・ガルシアと同行した人物でもあるシマンゴと一緒にゴール裏を陣取っていました。そして、母は指定の特別席で観戦していたのです。我々の近隣では頻繁に、今日では著名なサポーターとして知られ、偉大なるブラジルスポーツ年代記作家の一人でもあるジョゼー・トラジャーノ氏等が応援していました。

この常に彼等と一緒にいたいという強い気持ちが学業を2年遅らせる原因となり、この事は絶対に誰にもお勧めしません。でも当時は、現在とは異なる時代だったのです。だからこそ、私は大学へ進学するために人一倍に励む必要性を強いられました。でも残念なことに、在学中に海外へと移籍をしたことで退学を余儀なくされたのです。その後は、兄達と人生経験が自己形成を請け負ってくれました。正に恵まれた境遇です。

そして、エドゥーとアントゥーネスの二人の兄がアメリカFCで同時にプレーをしている姿が想像できますか? 私にとってアントゥーネスは助言者であり、模範とする第二の父のような存在だったことは既に多くの人々がご存知でしょう。彼の意見は常に正しく、上記にも述べましたように、私の教育に関しても最重要な役割を果たしたのです。そして、エドゥーの存在も大変大事でした。幾多に渡り私を支えてくれ、隣に彼等の存在がなければ、1972年にミュンヘン・オリンピックのメンバーから外された時点で、サッカー選手を断念していたかもしれません。

兄達を観るためへの脱出、彼等から学んだ教訓の数々など、これら全ての試みを体験していなければ、私は果たして前進できていたのでしょうか? 私は常々考えます。答えは誰にも解りえないでしょう。でも、きっとアメリカFCに密接した人生経験が秘訣だったのではないでしょうか。神は我々に、幾度となく正しい道程を、回り道をさせながら導いてくれるものなのです。

そして更に、エドゥーは私の側で、彼のサッカーに関する豊富な知識とその経験を伝授しながら、現在でも大事な支持をしてくれているのです。ディスカッションに対する理解力があり、多大なる安心感を伝えてくれます。そして、アントゥーネスは今でも可能であれば一緒にいて欲しかったのですが、既に他界しており、彼は天国より私を見守ってくれているのです。そして、私が常に前進できるように力を与えてくれています。

アントゥーネス家とアメリカFCの絆物語を語ることが、私なりにクラブの100周年記念へ捧げるオマージュ(敬意の表れ)なのです。残念ながら近年においての低迷ぶりが、永遠に忘れられぬ偉大なる歴史を薄れさせつつあります。でも、それは不可能なのです。そして、100年の重みが困難を乗り越える力へと変化して、アメリカFCが何時の日か、再び我らがサッカー界のエリート軍団へと返り咲くことが出来るように願っているのです。

…ということで、また来週!
それでは、ウン・グランデ・アブラーソ!

ジーコ直筆サイン

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