ジャパンコネクション

48時間のエモーション(感動

[2004.06.15]

仮に私のここ数日間での出来事を詳しく述べようとしたならば、きっと記憶に混乱を招くでしょう。何故ならば、リオ・デ・ジャネイロに到着と同時に私を待ち受けていたのはエモーション(感激)の連続と新たなセンセーション(感覚)、そして幾多のサープライズ(驚き)だったからです。なんと、聖火ランナー辞退の可能性まで生じた程でした!でも、最終的には私の人生においての空白を埋めることが出来ました。そして、私にとって永遠に忘れられぬ 48時間となったのです。

土曜日の朝に Palacio da Cidade(庁舎)へ出向き、聖火ランナー陣への用具キットの受け渡しを兼ねた親睦会でアーチスト、選手、元選手、有名人等の多くの友人に会ったのが全ての始まりです。歓談、トニ・ハーモス(アーチスト)との再会、そして、記念すべき他の聖火ランナー達との集合写真でした。

リオ・デ・ジャネイロには金曜日に到着し、懐かしさを癒すには何にも増してブラジル料理が一番です。土曜日の昼食で食した物なのか、又は、聖火を導くというテンションからなのかは定かではないのですが、その後、身体が不調を訴えたのは事実です。不快感は次第に痛みとなり、発熱へと繋がりました。そして、夜の 09時頃には、フラメンゴ時代からの友人で偉大な医師であるジウゼッペ氏が自宅まで診察に訪れてくれました。私は、翌日の使命を果たせないことを恐れたのです。

私にとって聖火ランナーとしての使命は歴史的な瞬間であり、辞退の二文字を必至に脳裏から排除すべき闘いが続きました。以前にも述べたように、オリンピック出場を成せなかったことは、私にとって人生で最も悲しい事実の一つでもあるのです。ミュンヘン大会のメンバーから外れた時、兄達の力がなければ 1972年にサッカーの道を断念していたかも知れません。だからこそ、あの400メートルは私にとっては尊いものだったのです。その晩、私は不安を抱きながら眠りにつきました。

でも、過剰な心配でした。翌朝には何事も無かったかのように快調な目覚めで、次の瞬間に記憶に蘇るのは既に、聖火ランナー陣の集合場所であったマラカナンでの人々の歓喜溢れる姿なのです。そこから、我々は輸送車に乗り込み、ランナー達は一人ずつ市内の各スタート地点に配置されました。

移動中には言い表せない程の慈しみの表現を戴きました!人々は車の窓を叩き、数々の熱烈なメッセージを送り続けたのです。感動という言葉だけでは表現不可能なセンセーションにかられました。理解するには正に体感のみです!私は直ちに、熱狂的な応援で我々を燃え上がらせる、マラカナンスタジアムを埋め尽くすフラメンゴのサポーターを思い浮かべたのです。

輸送バス内では、へナット「ソッヒーゾ(微笑み)」をはじめ、他のランナー仲間達と談話を交わし、パラリンピック競技に関しての意見交換等も出来ました。シダーデ・ノーヴァの第 18 地点に近づくにつれ私の鼓動は高鳴りを増しました。そして、次第に感動の余り涙が込み上げて来たのです。窓は遮断されているにも関わらず観衆はバスに沿って走り続けていました。そして、民家の窓では市民が興奮気味に国旗をなびかせていたのです。正にオリンピック情緒を漂わせる国民の心温まる感受性の表現でもありました。

情報によると私は 10 時 41 分にアフォンソ・カヴァルカンテ通りの郵便局ビルの後方で、炎を受けて聖火に火を灯しました。測道の多くの人達を横目に素早く通り過ぎ、全てが一瞬の出来事でした。本当に私は 400 メートルを走り抜いたのだろうか? あの瞬間、私は 1972 年当時の体力を感じており、走り続けたい気持ちで一杯でした。タイムスリップしていたのです。私は、プレジデンテ・ヴァルガス大通りを駈けていたのですが、まるでスパイクを履いて緑のピッチ上にいるかのように感じていました。熱狂していたのです。

でも、行方には現実が待ち受けており、私はへナットに炎を渡したのです。達成感の微笑みを浮かべての使命完了でした。これで私の人生の空白を埋め尽くせたのです。数百メートルのオリンピックの夢を駆け抜けることで、胸にメダルを掲げる喜びを感じました。でも、私の感動の 48 時間はまだ終わってなかったのです。

自宅へと一度戻り、その後はスポンサーによる私へのオマージュ(賛辞・表彰)も兼ねた、アテッホ・デ・フラメンゴでの閉会イベントへの出席のために会場へと向かいました。 30 人以上のアーチストを会して開催されたショーの楽屋では更なる再会が待っていました。フレジャー( Frejat ? ミュージシャン)がバロン・ヴェルメーリョ(バンド名)は全面的に赤・黒(フラメンゴのカラー)だったとの告白をしたのです。更には、ジョアン・ボスコ( Joao Bosco - ミュージシャン)、ガブリエオ・ペンサドール( Gabriel Pensador ? ミュージシャン)、その他、本コラムでは記載出来ない程の大勢と雑談を交わしました。

イヴェッテ・サンガロ( Ivete Sangalo ? 女性ミュージシャン)には、ヒット曲「ポエイラ( Poeira )」が最近作詞作曲されたことが悲しいのだと、冗談交えて話をしました。この曲は 1980 年代に創られるべきだったのです!マラカナン・スタジアムで 12 万人以上があのチームと共に熱狂しているシーンを想像して下さい!!! 彼女がオンステージ中、私は舞台裏で演奏に酔いしれながら自分の出番を待っていました。

注:「 Poeira = 埃(ほこり ? 空中に飛び散る細かなごみ)」、ブラジルでは「土埃を巻き上げる = 熱狂するの意味に値する」

そしてクライマックスが訪れました。大観衆が私の出番を待ち望んでいてくれたのです。突然ダンサー達がステージと花道になだれ込み、素晴らしいオマージュを受けたのです。カルリンニョス・デ・ジェズースの踊りやセルミンニャとクラウジーニョ等、私が愛するサンバチーム「ベイジャ・フロール」のメンバーによる演出でした。まるで大海を航海しているような気分で、希望と期待のメッセージを述べたのです。

興奮は極限に達しました。私にとってのマラカナン・スタジアムははち切れんばかりだったのです!そして、祭典はロナウド選手が聖火塔に火を灯すまで続きました。エンディングが訪れ、既に歴史の一頁となったあの素晴らしい喜びに浸り、噛み締めながら、私は帰路へと向かったのです。

勿論、この祭典は決して私だけのものではありません。リオ・デ・ジャネイロ及びブラジルの世界へ向けての何時間にも渡る偉大なセレブレーション(式典・祝典・称賛)だったのです。国家が抱える問題の影響もあり、バイオレンス に苦しめられる街が、「白と平和」に染められた一時でもありました。そして、全てが思惑通り進んだのです。我々は、国民が有する最も素晴らしい側面を披露することが出来たのであります。

全ての人の人生及び国家の発展において如何にスポーツが重要であるかを教訓とする、思想の種が今回の聖火リレーにより植え付けられたことだと信じております。オリンピック精神であるフェア(公明正大・公平)な競争、闘いと凌ぐ力が、我が国に明るい希望の兆しをもたらしてくれることを願う次第なのです。

それでは、ウン・グランデ・アブラーソ!

また来週!

写真 (聖火を持つジーコ):エヴァンドロ・テイシェイラ/COB

ジーコ直筆サイン

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