ジャパンコネクション

偉大なる指導者達

[2004.04.06]

今回のこのコラムでは、私の長いサッカー人生で出会った偉大なる監督達を称えたいと思います。彼達は私が在籍した各クラブでの 4本の白いラインで囲まれたピッチ内での知識を伝授してくれ、その真剣な指導方針と誠実性に現在でも尊敬の念を抱くのです。

私は自分の人生に於いて、一度たりとも監督の道を選択しようなどと考えた事がないのは言わずとしてもご存知だと思います。でも、実際には以前にもこのコラムで述べたように、色々な諸事情により現実があるのです。そして事実、日本代表監督という任務に誇りを持っており、常に現役時代に指導してくれた人物達の威厳と尊重心を受け継ぎ、最大限に使命を果たすように努めております。もちろん、出会った多くの監督達から吸収できたノウハウも基盤になっているのは事実です。

頻繁に記憶がよみがえる重要な教訓を根ざしてくれた、思い出深い監督も中にはいます。そして、私のサッカー人生に於いて強く印象に残っていない監督でも、今日に至っては影響をもたらすべく教えを残してくれたのです。

全ての起源はフラメンゴのスクールにあります。そこで、互いに協力し合うゼー・ノゲイラとセーリオ・デ・ソウザの二人のプロフェッショナルに出会いました。ゼーは厳格で厳しく、セーリオは父親のような存在の人物でした。彼らの両極面とも言うべき性格への印象のみではなく、共存することでバランスの必要性を学ぶことが出来ました。

そして 1971年、ジュベニールのカテゴリーでは、モデスト・ブリア、ヴァウテル・ミラグリアとジョウベルチに巡り会ったのです。ジョウベルチは技術面で大変要求が厳しく、私の育成の面で必要不可欠な存在の監督でした。ジョウベルチとは、パスやヘディング、そしてフリーキックなどサッカーの基礎を徹底的に練習しました。もしかしたら、この基本的な部分を最大に要求した監督だったかもしれません。そして、結果的にはこれが私の上達に多大な役割を果たしてくれたのです。

翌年、ジュベニールの 2年目にはジョウベルチとは対照的なヴァウテル・ミラグリアに指導を受けました。そして、彼は厳格なブリア氏と共に指導に当たっていたのです。ミラグリアは主に、戦術、そしてポジショニングとプレス面を強調しました。これも、大変重要な要素だったのです。結果的には、指導方針が異なる、元選手でもあった素晴らしい監督二人に教えを被ることが出来たのです。

私のプロ・チームでのデビューはフレイタス・ソリッチ、通称マゴ(魔術師)の手によって果たされました。彼は温情主義でありながらも、広範囲に渡る観察力に長けた人物でした。偶然か否かは解りませんが、彼の手によりデビューした数多くの選手の内、二人がクラブの歴史にその名を刻みました。一人目はヂーダ、そして二人目が私なのです。彼は素晴らしい観察眼と見事なまでに将来を見極める予知能力を兼ね備えていたのです。「魔法使い」のニックネームが付けられた程です。そして、 18歳でデビューさせてくれたソリッチは、永遠に私のサッカー史で語り継がれることでしょう。

その後、トップ・チームでジョウベルチと再会することになりました。彼は、私を信頼してくれ、最終的にプロとして定着したのです。後任は、ワールドカップの時期にフェリッぺ(現ポルトガル代表監督)に顕著な先導者として名指しされ話題を呼んだ、ガウシャォン(ガウーショ:リオ・グランデ・ド・スール州出身)のカルロス・フローネルでした。彼は、“相手を刀で斬りつけたら、拳銃で不意に反撃を受けないように、先にとどめを刺すべき”などの例をサッカーに当てはめ、巧みに比喩的な言葉を操る人物でした。

そして、クラウジオ・コウチーニョは「フッチボール・アルチ(芸術サッカー)」の愛好者でありながらも、タクチクス(戦術)面を重んじる監督でした。トヨタカップで世界チャンピオンに輝いたあの常勝軍団の開拓者でもあります。そして、彼は、 1974年の「カッホセウ・オランデス(オランダのトータル・フットボール:DFが攻め上がると前の選手がカバーし、全員が中盤から激しくボールにプレスをかけていくサッカー)」をこよなく愛し、代表監督時代には自らこのスタイルの導入に挑戦したのです。コウチーニョは、私自身のサッカースタイルを形成する過程においての多大なる貢献者でもあります。“敵に一発命中させてぐらつかせたら、徹底的にとらえて止めを刺すべくノックアウトを狙わなければいけないのだ”と、サッカーの試合をボクシングと比較するなど、原則的にはフローネルに共通する一面がありました。だからこそ、あの時代を思い起こせば、数多くの試合で序盤10~15分で既に2対0で圧倒していたのでしょう。

更に、パウロ・セーザル・カルペジアーニはフラメンゴでチームメイトとしてプレーをした元選手でもあり、彼のコンセプトは戦術と技術の融合でした。カルペジアーニは比較的に他の監督達よりも大胆かつリスクを負う、少年のようなエネルギーを秘めた独自性の持ち主でした。そして、彼はフラメンゴに優勝をもたらした勝者なのです。何事にも決して満足をせず、向上への追求、いわゆる進化への変革に臆することなどありませんでした。

ブラジル代表では、フレイタス・ソリッチのスタイルに共通し、更には集中主義者でもあった、ブランダォンの想い出が印象的です。同時に彼は素晴らしい人物でもありました。選手のプライベートも含め、全てにおいて関与をする古いタイプの監督でした。彼は大変高潔な人物で、 1978年W杯予選では重要な役割を果たしました。大変なプレッシャーに晒されながら、病気を患っていた息子の問題で困難な時期を過ごしていたのです。私は頻繁に会話を交わし、彼が鬱憤を晴らしていたことを憶えています。ブランダォンは私に多くを伝授してくれた人物なのです。

テレ・サンターナも代表での偉大なるプロフェッサーであり、模範なのです。常にタレント(才能・天性)を最優先し、ファールを嫌う、フェアプレー信奉者でした。即ち、存在し得る最良のサッカー・スタイルなのです。勝つ為に手段を選ばないサッカーなどテレにとってはあり得ない事でした。いわゆる、選手のタレント(才能)を最大限に追求し、ヂシプリン(規律)への自由と真剣さを重んじるサッカーなのです。

他にも、同じくタレントを常に讃美するラザローニや、そして、多少迷信深くも同様な特徴を持ち、一緒にチャンピオンに輝いたカルロス・アルベルト・トーヘス監督の下プレーをしました。更には、どんなに困難な時でも冷静さと落ち着きを保つことが出来るカリーニョスにも感銘させられました。最後に印象的な監督だったのは、現在では日本代表で私のアシスタントを務める実兄のエドゥーです。ブラジルと日本においても若手の発掘に卓越した眼力を発揮した監督なのです。鹿島アントラーズ、そして日本代表の将来を期待される多くの若き選手達は彼の手により巣立ったと言っても決して過言ではないでしょう。

プロフェッショナルとしての現在の私は、彼ら一人一人から吸収した経験の集大成ともいえるのです。偉大なるプロフェッショナル達から学んだ事を常に思い出し、日々の私の仕事に適用するように心掛けております。それは、ヂシプリン(規律)、タクチクス(戦術)、コンディショニング、そして、最優先にタレントなのです。私は現段階で、規則に基づき、誠実に努め、最善を尽くしているのだと確信しております。日々献身的に臨んだ自分があり、そして私は安らかに眠りに就けるのです。

今週は、誠実に、そして真剣にチームを指導した、あるいは指導し続ける全ての指揮官達を称えると同時に捧げるコラムなのです。何故なら、我々は単にゲームで勝利を得ても、自らの人生においての勝者でなければ何の価値も見出せないのではないでしょうか?

という事で…、また来週!

ウン・グランデ・アブラーソ!

ジーコ直筆サイン

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