ジャパンコネクション

育成-下部組織

[2003.09.02]

ジーコ監督今週は、CFZ do Rioが初めてチャンピオンに輝いた、第6回日伯友好カップに関して、喜びの気持ちを込めて書きたいと思います。決勝ラウンドを見届ける事が出来、そこにジーコサッカーセンターのプロフェッショナル達の努力と愛情の結晶としての本大会の成功があり、そしてこの喜びを皆さんと分かち合いたいと思います。日伯友好カップは1998年に始まったストーリーなのです。

思い起こせば、この日伯友好カップの話は、私の日本サッカーとの関係がきっかけとなって実現された企画なのです。先ず1990年代半ばに、日本の学校の夏休み期間である8月を利用して、交流を目的とし、約10日間程度のサッカークリニックを日本の子供達を対象にジーコサッカーセンターで開始したのです。回数を重ねるに連れ、チーム単位での参加が可能になったのです。期間中は私達の指導者、例えばアンドラーデをチーム付けで指導に当たらせる事により、彼達は日本に帰国後、大会等で良い結果を出す事に成功をしたのです。

次の段階として、1998年には日本とブラジルのチームを交えた大会「日伯友好カップ」を開催する事に成功したのです。第1回日伯友好カップはリオ・デ・ジャネイロ州から8チームと日本からの2チーム、合計10チームの参加で開催されました。各グループの1位と2位が決勝ラウンドを戦ったのです。年を追う事に大会参加チームも12チーム、16チームへと増え、そして今回は19チームで開催したのです。全試合がジーコサッカーセンター及びCFZ do RioのCT(トレーニングセンター・練習場)で行われているのです。過去、本大会には他州から、コリンチャンス、サン・パウロ、アトレチコ・ミネイロ、クルゼイロ、グァラニ等のビッグクラブも出場しております。

出場チームが増えるに連れ、大会日程の調整が困難になって来たのです。日本チームの目的は交流と云う事もあり、各グループに日本から1チームと現地3チームの合計4チームでグループ構成を行うのです。この様なグループ分けをする事で、日本チームはこちらジーコサッカーセンターで行うフレンドリーマッチ以外にも、大会中最低でも3試合はこなせるのです。日本のチームは交流を図る事に対する意識が大変高く、積極的にブラジルのチームと試合を行うのです。日本からのスポンサードもあり、テレビ番組でも試合のダイジェストが放映されるなど大会自体広範囲に公表されているのです。ブラジルでは、テレビ局が試合のオンエアーや取材など積極的に取り上げてくれた経緯もある程です。

今年度は、素晴らしいメンバー構成でのU-15日本代表の初出場も実現されました。U-15日本代表は中学校のみで無くJリーグの下部組織の選手も選出され、編成された混合チームなのです。彼達にとっては、違う文化を体験出来るだけではなく、戦い方への観念そのものが異なる国のチームと対戦し、更には国際大会の雰囲気に馴染むという、大変貴重な経験が出来ました。私はU-15日本代表の全試合を観る事が出来た事で、近未来必ずこの経験が実を結ぶと確信しております。

そして、ブラジルのチームにとっては、この日伯友好カップはいわゆる一つのバロメーターとして捕らえる事が出来るのです。僅か何年か前迄、リオ・デ・ジャネイロ州のチームにとっては、タッサ・サンパウロで代表されるように殆どジュベニールとジュニオーレスのカテゴリーの大会が主要でした。でも、今日ではこの大会勢力図も変わって来たのです。そこで、リオ・デ・ジャネイロ州の各クラブは育成の面でこのインファンチル・カテゴリーに目を向ける必要性に気付いて来たのです。他州のクラブは本大会を重視し、強豪チームを備えて挑んでくるのです。今回、フラメンゴがベストチームで臨まなかった事を私は残念に感じたのです。勿論、本大会期間中に別の公式試合が決定していたフルミネンセ同様、フラメンゴのクラブ代表者はそれなりの理由が有っての事だと伝えて来ました。理由はどうあれ、事実この2クラブは貴重な経験をする機会を逃したのです。

この大会の最大の真価は、実際にこれからサッカーへの関心が根付き、闘争心を養い始め、このスポーツの道を歩み始める第一歩である大変重要な15歳のカテゴリーに焦点を置いている事なのです。現在リオ・デ・ジャネイロ州では、この年代の大会が不足しているのです。ジュベニール、そしてジュニオーレスのカテゴリーを対象とした国内・国際大会は開催されているのですが、U-15のカテゴリーでは無いのです。あくまでも州大会への出場に制限されてしまうのです。

先週の土曜日、世界選手権で優勝したU-17ブラジル代表の得点王・アブダも2002年度の日伯友好カップの優勝チームであるコリンチャンスのメンバーとして出場した選手なのです。例えば、私の下部組織時代にはこの様な大会に出場する機会はありませんでした。大会自体無かったのです。リオ・デ・ジャネイロ州奥深く試合をしに旅をしたものです。ジュニオーレス・カテゴリーでも幾つかのミナス・ジェライス、エスピーリト・サント、マット・グロッソ等の州での大会への遠征を除いては殆ど存在せず、地元ローカルチームとの試合又は遠征先での同じリオ・デ・ジャネイロ州のチーム同志での対戦が主でした。私の、他州のビッグクラブとの初対戦は1971年にフラメンゴのプロチームの一員としての試合でした。この事実は、私の得点記録ブックを参照頂ければ明らかになる筈です。

更に、日伯友好カップの重要な一面は教育的特性を持っている事だと思います。選手のみで無く人間育成も兼ねているのです。この様な目的により、大会前に各クラブの代表者を収集し、大会趣旨及び選手達への指示に関して入念に説明会を行います。審判団にもしっかりと伝える事により、試合で未だ一度も深刻な問題が生じたケースは無いのです。

フランスやイタリアとの接触によりPSG、ミランとウディネーゼの近い将来での出場の可能性やアフリカ勢の興味も出て来たという朗報もあります。長年の忍耐強い努力が実り日伯友好カップは成熟期を迎えつつあります。将来、日伯友好カップはブラジル国内に於いて最も権威のあるU-15(インファンチル・カテゴリー)の大会の一つに成長する可能性もあるのではないでしょうか…。現在行われているジーコサッカーセンターとCFZ do RioのCT(トレーニングセンター・練習場)だけでは難しくなるかも知れません。大会がこれからも成長し続ける事が私達の願いでもあるのです。だからこそ、現在は私達のみで開催されている大会ですが、今後は市や州の協力も得る事が出来れば、紛れもなく日伯友好カップの新たなる飛躍が期待出来る事でしょう。

みなさんごきげんよう…そして来週は再び東京からお送り致します。
それでは来週もヨロシク!

ジーコ直筆サイン

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