ジーコの部屋

O elevador de Cali カリ(コロンビア)のエレベーター

私は1972年のミュンヘンオリンピックには出場していないが、その頃のセレソン(代表)ではほとんどの試合に参加していた。もう別の機会にも話したが、オリンピック前の南米予選にも出場し、コロンビアでは優勝した。そして最後の召集リストには私の名前が無かった。                 

今日まであの時何故セレソンに呼ばれなかったのか解かっていない。後で聞かされた事はコロンビアで健康状態が良く無かった事が原因らしいと言うことだった。周りはそう言っていた。もちろんあの時に咳が止まらなかった事はこのコーナーでも話題になった。だけど実際には何も問題は無かったし、サッカーをするための健康上の問題も無かったのだけどね。        
71年のオリンピック予選で起きた事は、ひょっとしてそれが代表落ちの原因なのかとも言えるものだった。もちろん冗談だけど!出来事は私とDFのフレッド(私とフラメンゴでもプレーした事があって相談相手にもなってくれた偉大な選手)が宿泊していたホテル内で他のメンバーに悪巧みをしたのだ。

コロンビアのカリに着いた時、宿泊のホテルの高さは30階ぐらいあった。凄く高いホテルだった。午後にチェックインして各部屋にみんな落ち着いた後、私とフレッドはホテル内を歩いて最上階まで行ってみることにした。最上階はセレソン(代表)の医務室や運営スタッフがいる階だった。                     

エレベーターで40階まで行って降りる時、幼稚な心が働いてエレベーターのボタンを全部押して置いた。別にボタン全部作動しないだろうと思っていた。ところが、エレベーターを降りたとたん、CBFで働くニニーニョさんと鉢合わせになってしまった。彼は書類を手にいっぱい持って息を切らせて急いでいたのでちゃんと挨拶も出来なかった。 

「オイ、君たち。私は急いでいる。大事な書類を届けなくてはいけない。後でゆっくり話そう。」 
とニニーニョさんは言った。

私とフレッドは"イタズラ"をしてしまったバツの悪い顔を見合わせた。そしてエレベーターが各駅停車をして行くのを見ていた。ニニーニョさんは焦っていて、降りて別のエレベーターを使えばいい事さえ気付いていなかった。何分後かに私達は彼より他のエレベーターを使い先に下に着いていた。

ニニーニョさんはとても面白い人で寛大だった。だがその時は私達に怒りをぶちまけた。ロビーで私達は彼が止まる事無く文句を言っているのを聞いていた。私とフレッドは起きている事に笑いが止まらなかったが、注意をして隠れる事にした。            

やっとニニーニョさんが下に着いた時には、書類を待っていた若者は既に帰ってしまっていた。ニニーニョさんは私達を見つけるともっと怒り狂って真剣に怒っていた。私とフレッドを睨みつけていた。私達は相当怒りの言葉を受けるであろうと待ち構えた。ニニーニョさんは深呼吸をして、何秒か静かになった。その時間は何時間のように長く感じられた。そして口を開いた。          

「君はもっと他に指を突っ込むのに良い場所が無かったのか?」               

私達はニニーニョさんも含めて3人で爆笑してしまった。ニニーニョさんも私達に対して自分の言ったことに苦笑いをするしかなかった様だ。でも本当にその出来事が私をオリンピックから外してしまったのだろうか?そんな事がある訳が無いのは当然。この話を思い返すとニニーニョさんが懐かしい。

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