ジーコの部屋

The Colombian branch of Arlindo’s cheap bar
オリンピック予選と居酒屋アルリンド

酒瓶80年代の半ば、偉大な友人であり、フラメンゴの熱狂的なサポーターでもあり、サンバの作曲家のジョアン・ノゲイラが「アルリンドの居酒屋」を作った。曲の内容は大衆医学を語るもので、「風邪はレモンで治せ・ジュルベーバはぜんそくに・こんな状態が続けばアルリンドの居酒屋は薬屋になってしまう」と。これを初めて聞いた時、直ぐに思い出したのは1971年にセレソンに行って自分に起きた時の事だ。オリンピックの予選でコロンビアでのこと。偶然にも懐かしいジョアンは2000年の6月にこの世を後にした。58歳だった。丁度あの年からブラジル音楽界で人気が出てきていた時だった。

1971年にはジュヴェニールでプレイしていたが、すでにプロチームでもプレイしていた。調子の良い時期でこのカテゴリーの州選手権では得点王で終わった。年末にはミュンヘン72オリンピックへの出場を決めた予選のためにコロンビアへ向かった。コロンビアの町は凄く寒く、私は着くなりアレルギーに掛かった。一日中咳をしていて夜もそれは続いた。眠るまでに時間もかかりそれで疲れも出て体が痛かった。あれは練習にも試合にも影響を与えた。

ドクター達がそんな私に何が起きているのか診に来た。あちこち診察したが、別に異常は見つからなかった。色々やってみたが何も効かなかった。そんな時、あるドクタ-が自信を持って妙薬があると言って私の部屋を出て行った。庶民の知恵である。コップにコニャック、レモンに砂糖に蜜を持って戻って来た。正に「アルリンドの居酒屋」が暑いリオから寒いコロンビアにやって来た情景である。だが、興味深いことに、あの妙薬は私が感じた悪寒を和らいだ程度であまり効き目はなかった。

それよりその「ある薬」を気に入っていたのは同室仲間のフレッヂだった。彼はフラメンゴで知り合い凄く親しくなった友達だった。フレッヂは私がサッカーを本格的に始めた頃色々アドバイスしてくれたパウロ・セーザル・カジューの兄弟だった。彼は私の妙薬を身体を温めるために一口飲んでいた。その内にドクターはその妙薬の「キット」であるコニャックの一瓶とレモン、砂糖、蜜を私が毎日飲めるように部屋に置いていった。

ブラジルは予選を殆ど勝ち越してチャンピオンになる勢いだったが、私のアレルギーはちっとも良くならずコロンビアの領域では休戦させてくれなかった。 寒さも同じだった。私はもうあんなもの飲むのが嫌だったからドクターに連絡して、もう良くなったから妙薬は要らないよ、と言ったらフレッヂが聞いていて怒り出した。「ガーロ(ジーコの別のニックネーム)!この寒さを見ろよ。おいらは顎ががちがちと止まらないよ。おまえ「薬」をもう要らないなんてそりゃ狂喜沙汰だぜ。頼むからもう一度ドクターに連絡してコニャックだけでもいいから置いてくれるように言ってよ、でないとおいらは眠れないよ・・・・・・」

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