ジーコの部屋

Surpresa italiana イタリアでの驚き

このコーナーでもう何度も1983年にブラジルを出てイタリアに行った話しをした。

フラメンゴでプレーを続けたかった私には難関であった、その頃の世代では幾つもタイトルを勝ち取り特に居心地が良かったからだ。だが、そのリオデジャネイロを後にしてウディネーゼに移籍した事は現実であった。ボッタの地の町はとても落ち着いていておしゃれでもあった。

私の毎日は何も変わることなく練習と試合の連続だった。イタリア選手権・セリエAはいつも日程が早くから決められていて大変良く運営されており、各クラブがシーズンのそれぞれのプログラムを組むのを楽にさせていた。私の個人的な生活プログラムにも楽になり、妻のサンドラは出来る限り私の横にいられるようにしてくれた。身の回りでも素晴らしい人達が働いてくれていた。 

ウディネーゼで身の回りの世話をしてくれていた内の一人にジョルジェ・イジドーロと言うニックネームがペレジーニョと呼ばれていた人物がいた。私の人生の中でも長く付き添ってくれ、とても面白いキャラクターの持ち主でもある。だけどある日、いつもは観客席側にいる彼は、楽しい主役に早代わりをした。

いつもと変わらぬ日曜日で、私はウディネーゼのアウエー試合に出かけた。イタリアのほかの町へ遠征したが、そのため私は2日間ほどペレジーニョに留守番をさせて出かけていた。いつもは帰宅すれば家はきちんと掃除、整頓されて私を待っていたが、その時はちょっとした異変に気付いた・・・・・・ 

イタリアでは珍しく試合が早くなり、その為に私は予定より2時間ぐらい早く家に帰ることになった。そこで我が家の周りが何だか騒がしいことに気付いた。門の前には観光客らしき人々や写真、それに小さな屋台が・・・窓が開けられて家の中が見えるようになっていた。近づくにつれ、これはお騒がせなペレジーニョが仕組んだものとわかった。   

彼は近所の子供達を集め、自分を即席ガイドに仕立て上げ取り仕切っていたのである。我が家を外から見学させ、写真も売っていたのである。後でわかったのだが、彼はこれで何がしかのお金を稼いだのだが、笑ってしまった。その時は多少きつく問い詰め、いったいあれは何の真似だと叱るようにしたが、彼は即座に真剣な返答して私は落胆することが出来なくなってしまった。

面白かったのは、私は屋台に近づいてどんな写真を売っているのかを見たら、色々なのがあって“ジーコがボールを持ってプレイしている”、“ジーコの家の写真”とかそれなりのタイトルを付けているのだ。その辺りまでは普通だが、ところがそれらの横には“ジーコの使用人との写真”とか“ジーコの使用人の写真”などと言うのも置いてあった。これには参った。それで大笑いする他なかった。 

「ペレジーニョ、何だこの私の写真以外の“ジーコの使用人”て?? 」  

彼はエリアで完璧にポジショニングをしたアタッカーのように迷うことなくこう言った。 

「ジーコさん、そこのペレジーニョは中々売れ行きがいいよ。まだコピーを取らなくてはいけない位なんだから・・・」

もちろん私はその我が家の即席観光名所をやめさせた。だが、後でペレジーニョが得た利益を知った時、自分は偉大な実業家で有能なガイドの横に居ることを認めざるを得なかった。それは個性的なジョルジェ・イジドーロ、未だに我が家族の近くに居て付き合っている。

>一覧へもどる