ジーコの部屋

Sozinho na multidao 大衆の中でひとりぼっち

一人の選手が自分の国を出た時に起こるコミュニケーションの難しさを話す時、多くの人達はそれがどういう事なのか理解出来ない場合がある。私自身も日本へ行く前にはこの先にどんな障害があるのか想像もしていなかった。ウディネーゼに行った時にはイタリア語なのでほとんど言葉の問題が無かった。気持ちの中ではサッカーの言葉は世界共通なものだと思っていた。ところがピッチを出たらそれは全く別の問題だった・・・・

先日のこのコーナーで私は東京・上野毛での日々の話をした。上野毛から電車に乗り大井町で乗り換え東京に出て、その後鹿島行バスに乗車、住友金属―現在鹿島アントラーズのトレーニング場に通っていた。この方法だけは良く知っていたがそれだけだった。あの頃の私は日本語が全く理解出来ない状態だった。今話しているのはその一年目の日本での事。

あるとても厳しく寒い冬の朝だった。日本に着いてから初めての驚きで目を覚ました。なんと雪が半メートルほども積もっていて家から出るには登山服でも着ないと寒くて出られない状態だった。それと歩くために道を作るのにシャベルも必要だった。道には雪が積もっていた。 

あの日は住友金属が試合をする一日前で午前中にはトレーニングが予定されていた。いつもの通り私は準備をして出かけた。始めの区間、上野毛から大井町では普段より電車が空いていた。そこまでは良かった。問題は大井町に着いて東京へ乗り換えようとしたときのこと。私は驚いた。駅では電車が雪のためにストップして動いていなかったのだ。人々はやむなく家に帰ろうとしていた。  

それは私にとって非常に困った状況だった。誰とも話す事が出来ないし、その時代は携帯電話も無かったし、公衆電話の使い方もよく解かっていなかったのだ。何とか誰かと話そうとしたが無理だった。“大衆の中でひとりぼっち”というのを誰かから聞いた事があるかな?まさにその通りの事を私は感じていた。もっと悪いことに私はそこで何が起きているのかを何もわからずに住友金属でのトレーニングの事を心配していた。 

駅の中を少し歩き回って、誰か外国人でも見かけたら電話のかけ方を教えてもらおうとした。何とか助けてくれる人に出会い、妻サンドラと電話で話すことが出来た。彼女は住友金属の誰かに電話した。そしてトレーニングだけでなく大雪のため試合も延期になったと言っていた、と説明してくれた。私はそれで家に帰ることになった。   

今ではもう全然状況は違っている。一つ携帯電話があるだけでとても違う。それに私はもう長く日本にいる。少しぐらいは日本語も話せる様になっているし、国自体テクノロジーも発展してグロバリゼーションも普及している。あの時、サンドラと電話で話が出来た時は本当に安堵したものだった。その時に痛感し今でも思っているのは、情報不足と会話不可能は二つの最強なデフェンダーであるという事。

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