ジーコの部屋

Sensacao estranha 違和感

読者の中には目的を達成したけど、何かこう喜びに力が入らない感じを体験したことがあるだろうか。そう、違和感。だけど、ひとつの勝利がどのように大事なのかを知るためには多少時間が掛かると言うことも必要だ。もうひとつ、優勝というのはとても特別なことなのに何故だかその時の反応が無かったりする。これらは二つの可能性だが、三つ目がある。それはこの文章の一行目に自分が疑問を投げたことだ。これは198 1 年12月12日の事を言っているのだと理解する人は少ないだろう。

あれは日曜日で、マラカナンのあの熱い雰囲気とは全然違っていた。東京の国立競技場はとても寒く、フラメンゴは歴史上でも大事な試合を目前に準備をしていた。リベルタドーレス杯ではコブレロアを相手の辛い戦いながら勝利し優勝した。反対側にはイングランドのリバプールが79,80年の英国チャンピオンになり、イギリスカップを制し、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ優勝を成し遂げて来ていた。ここまでにバイエルン・ミュンヘンやレアル・マドリードを打ち破っているのである。まず私たちの目前にはとてつもない強いチームがいることは間違いなかった。 

高質で強い相手に加え、ヨーロッパ的な寒い気候もあったがリバプールとの試合は意外と楽だった。チリーのコブレロアと同等に戦ってきたチームに対してイギリスのチームはおとなしかった。私たちは火傷をするくらい熱くなっていた!私はいつもフリーキックのことを言うが、あのコブレロア戦でのゴールは人生で最も大きな感動だった。 

決勝の試合、私たちは13分にヌネスが先制点を決めた。34分には私がフリーキックを蹴るとGKグロブラーが跳ね返し、アジーリオがそれを押し込んで二点目。さらに7分後にヌネスがもう一度決めて3対0。ハーフタイムに更衣室に入り、確信を持ちながらも拍子抜けした感じだった。試合はすでに決着をつけているのを感じていた。それが後半に入ってリバプールは反撃を成し遂げられずに私たちはタイトルを制覇した。私たちは死に物狂いで戦い常に目標を求めそしてその恩恵を得た。世界クラブ選手権、フラメンゴの歴史の最高峰にたどり着いたのだ。

私たちはピッチでお祝いをした。ヌネスはあの得点王賞に新車のでかい車のキーを貰った。

私は最優秀選手に選ばれた。私は今でもあの時のトヨタ車を持っている!更衣室に入りホテルにもどってもお祭り騒ぎは続いた。時間が過ぎるにしたがってお互いを見やったりしていた。静けさが漂っていた。私は東京の街を見やったが何も見えなかった。仲間たちも同じようにあの空虚感を味わっていたに違いない。あの時代にはインターネットもケーブルテレビも無く、世界の事を知るのも容易ではなかった。世界中に“エー、カンペオン(優勝)!!”を叫びたかったのだが。 

もちろん中には居た。赤黒軍団の英雄的なサポーターが。(偉大なモラエスはその内の一人)国立競技場に赤黒闘志の旗をはためかせて。だが、あの時私はその不足を感じていた。フラメンゴがいつもしてくれている事を。サポーター達が飛び跳ねて叫んでいるのを。だが、まったく静かだった。メンバー全員がとは言えないが、仲間たちみんなが同じような心情になっていたとしたら・・・。リオデジャネイロは今どんな状況になっているのだろうか?通りでクラクションを鳴らして走り回り、クラブ旗が窓から現れ、勝利のビールが夜明けから翌日まで終わりが無いように続く・・・。実際メキシコ人のレフェリー、ルビオ・ヴァスケスが終了ホイッスルを鳴らした時には、私はブラジルにいたかったくらいだ。サポーターがお祭りをしている中に。

本当に奇妙である。正真証明、私は選手としての人生での幾つか大事な頂点を越えた時、何が欲しかったかと言うとフラメンゴのサポーターが叫ぶ“エー・カンペオン”だった。 




2004.12.15

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