ジーコの部屋

Sem logica 理屈なし

「サッカーはビックリ箱」、「サッカーは何が起きてもおかしくない」・・・
この二つの言葉はスポーツの世界では焼印の例となった。だがブラジル人が英国人のスポーツをくだけてやるのは見るに値する。私達のトロピカルな国では、
戦術というものは後回しになっていた。何故かというと個人の名人的なタレント性と創造力が先走っていたからである。そんな時に奇妙なやつが可能になって、一番弱い奴が一番強いのに勝ったりする・・・90分で何が起きてもおかしくない。

その他の練習では、戦術の練習の硬度が低いか高いかはそのサッカー文化によって異なる。ブラジル人流にやることは、予期せぬことになり接触をより少なくさせる。まだ国境を越えた地球的全体化が進んだこともある。自分にとってこのサッカーの大きな差を感じた出来事は初めて日本の選手権をまだJ-リーグが無い頃の住友金属で戦った時に起きた。

試合の前にいつものミーテイングが行われる。日本人選手達はノートにペンを持って行き、監督の言うことを全部メモっていた。聞き入るより紙の上に気を取られていた。更衣室で、フィールドに入る直前まで彼らはメモを見て一生懸命勉強している。規律正しく日本人達は言われた事を厳しく守ろうとしている。 ノートから出ようとしない! ブラジルではこんなこと考えられるかい?出来る訳ないよね。

あれは凄く奇妙だった。そして私がチームの指揮を取るようになった時に最初にメモる事を止めさせた。今度は彼らが奇妙な顔をしたけれどね。だけど私は説明した。「みんな、サッカーは数学じゃないんだ。一足す一は二じゃ無いんだよ。だからそんな風に言われた事を勉強する理屈はない。必要なのは創造する自由さなんだ。」

みんなの反応はと言えば、そりゃあみんなビックリしていたよ。だけど彼らは 私が言うメモのことは抵抗なく辞めてくれた。それより私が戦術について指導した日に興味深いことがあった。ボードにボタンを使っていて、右ウイングの選手を指していた。攻撃の一つのオプションだということを明確にしていた。 最初のミーテイングの時に次のような会話をある選手と交わした。

「いいかい、君がゴールラインまでたどり着いたら三つの事を選択して欲しい。 一つはゴールエリアで出来るだけゴールに近い所、別の選手が後ろから来る、もう一人が二番目のポストだ。そこで、後は君の判断だ。もちろん優先はゴールに最も近い奴だ。」 と私は言った。  選手はあまりにも自由を与えられて驚いた顔で返答して来た。 「ジーコさん、僕は一つだけオプションがあれば良いです。誰にボールを出せば良いか言って下さい。」 

その時私は思った。日本のサッカーを促進させるにはまず哲学から変えないと駄目だと。彼らの個性を取り除いたり、文化を変えようなどとは思ったこともないが、しかし世界で通用するやり方に変えて行く事が必要であるのは明らかだった。私は一つの調味料が必要だった。私達の味付けはもっと自信を持たせ、違うことをやる勇気を与え理屈を減らすことだった。
この推論を使うことは意外性のある仕事をすることにより相手を驚かせるものだった。つまり、サッカーはビックリ箱であり何が起きてもおかしくないのだ。

>一覧へもどる