ジーコの部屋

Que preparacao!  とんでもない準備!

以前のこのコーナーでも話したが、私が1991年に日本サッカーに行く事で周囲は随分驚いていたものだ。あの当時私が入ったのは住友金属というチームだった。まだ二部リーグに所属していて、付帯施設などもよちよち歩きの頃だった。リーグではプロ化を望んでいたが、実質的にはまだアマチュアの域だった。Jリーグが出来るまでは新しいスタジアムを建設したり、サポーターを募ったり、チームも編成したりなどがあって結構長い道程でもあった。その道程で私はいろいろな出来事に出会った。特にサッカーを取り巻く世界では経験不足というものが目立っていた。

その記憶の中でも印象に残っているのは、一年目の準備期間と言える頃だった。まず住友金属を編成する為に幾つかの練習試合を行った。それは良い考えだった。チームの連携を磨くには試合をする事が一番だからだ。最初の相手は読売ジュニオールだった。若い選手の読売は二部リーグを戦うために編成されていた。その読売は現在東京ヴェルデイに変った。鹿島からチームバスで東京に向かった。午前9時頃にはもう国道を走っていた。

昼食時間も近づいていて私は空腹を感じながら、バスがもうすぐ昼食のために停車するものと待っていながらミルトンと話していた。彼は日本語を話せるので私の通訳にもなってくれていた。彼は途中でバスは止まらない事を知っていて、それを私に隠そうとしていた。その内に"弁当"を配り出した。ごはんに魚に野菜。それだけ。それが我々の昼食だった!

昼食の為にもバスは止まらず、長旅・・・その内に雨・・・が激しくなって凄い荒れ模様になってきた。試合が中止になる可能性が出てきたな、と思っていた。だが、バスは進む。正直言って、あの時どうも試合はウソ臭い嫌な感じがしていた。鹿島を出てから5時間後に東京に着いた。午後2時。雨は大降りで続いていた。誰かが私を安心させようと雨はもう直ぐ止むと言った。本当に止んだ。これはパラーのベレンと同じだと思った。そこは決った時間に大雨が降る所なのだ。

グランドに出てみると、泥沼状態になっているのが明白であるのを見ながら相手チームが来るのを待った。読売チームは直ぐにやって来た。主力チームの監督をしていたぺぺが試合を見に来て居た。若い選手達を見るためだ。彼は私に話しに来たが、あの時二人して何故か困惑したのは確かだ。"ジーコ君が此処に?このチームの中に他の誰でも居るのを想像出来るが、しかし君が?

彼が何を言わんとしているのか疑問に思ったが、それは試合が始まってから見当がついた。この何とか言う試合の3人のレフェリーになっていたのは読売の選手達だった。他と間違わないようにビブスを着ているだけだった。それからは有りもしないオフサイドのオンパレードだった。反則の取り違え、その他もろもろ・・全部読売に都合の良い様にジャッジしていた。そりゃそうだよ。我々のチームは11人なのに読売チームには14人もいたのだから!まあ、我々も試合をしに行ったのでは無く、練習に行ったのだと思えばいいかと。

試合が終わってから私は住友金属のスタッフに言った。あれは無いよ、今のような試合を我々は二度としてはいけないと。結局、5時間も掛けて来て、ろくに昼食も取らず雨に降られて若い選手の相手をする紅白ゲーム? とんでもない準備だよ!!! 



2004.9.22

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