ジーコの部屋

Prestigio na Italia イタリアの魅力

83年から85年の間、2シーズンをウヂィネーゼで過ごした。そんなに長く生活したわけではなかったけれど、自分にとっては記憶に残ったことは確かだ。街のサポーター達もそうだと思う。教訓も学んだし、友達も出来た。そしてあちこち知らない美しい所を訪れる機会にも恵まれた。私の中にはそういった事が沢山記憶に残っている。       

今週はその中で面白かった話しを思い出そう。イタリアで休暇に入っていた時のこと。妻サンドラの横で困り果てることがあった。最終的には神のお陰か上手く解決して最後には笑い話になってしまった。       

イタリアでの休暇にそれは起こった。サンドラと私、リーグ戦が中断していたので休暇と観光を兼ねて、コルチーナ・ダンペッソというスイスとの国境に近い街へ行くことにした。

そこはかなり寒い地方だとは言うまでも無い、その時も雪が止むことなく降っていた。車で往復することになっていた。

私の大きな心配は車輪にチェーンを巻いていなかった事だった。だから出かける前に何人かに相談したが、道路は問題なく、下り坂も急勾配もないから雪があっても大丈夫だと言われた。実際にはそれはとんでもない話だったね。始めは調子良かったけど道路は良く見えないしどっちを見ても雪ばかり。所々に凍った場所もあってスケートが出来そうだった。 

私が考えたのは正にそれだった。そして私の車がそれと同じことを考えるのには時間がかからなかった。凍った場所に乗ったとたんに驚きと共に崖に近いところで止まるまで滑って行った。状況はかなり深刻だった。その場所は明かりも暗く寒かった。車は崖の近くで、おまけに通る車も殆んどない状態だった。車を降りて誰かが通りかかるのを待った。

時間は早く過ぎて行く中、数少ない通りかかる車は暗い道をゆっくり走るにもかかわらず、私達の為に止まってくれなかった。私とサンドラが段々心配になってきた時、1台の車が通り過ぎて・・・少し行ってから止まった。そしてバックしてきた。バックしながらお祭時のような叫び声を発していた。運良く車の中にいた人は私を知っていた。私のファンだと言い、私を抱きしめた。それから話すこと話すこと、目撃したゴールのことを一生懸命語っていた。彼は全くお祭り気分だったのだろう。           

「ジーコ、僕はあなたのファンですよ。会えて嬉しい、いつか会えるなんて考えてもいなかったけど、是非サインして下さい、お願いです。みんなに見せてやるのです。・・・」 

いやはや、救いのファンが現れて嬉しかったのだが、私は暗い中で危険な所にある自分の車が心配でしょうがなかった。それでも寒さのことは我慢していたよ。で、若者は嬉しさに興奮して右往左往しながら機関銃のように喋っていた。私は状況をまともに説明も出来なかった。サインをして、抱擁もして、雪の中で記念写真も撮ってもうやることなくなった頃、彼はもう少しで私達を助けずに行ってしまうところだった。やっと状況を説明して助けてもらいあそこから脱け出すことが出来た。あの日はイタリアで私が認知されたと確信が持てた日だった。

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