ジーコの部屋

Peu e o peixe ペウーと魚

詩人の言葉をもしわかり易く言い換えるとしたら、“もしペウーが存在していなければ必然的に作り上げられたであろう”そう、このコーナーでもペウーにまつわる話は何度か取り上げた。私のアイドルであったフラメンゴのジーダと同じくアラゴアーノ(ブラジル北東部アラゴアス州出身)の彼は80年代のフラメンゴチームでの同僚だった。まだまだ思い出すことは沢山ある。我々がフラメンゴのチーム内で企む悪戯に単純に受け応えした彼は、完璧な主役であって忘れられないひと時を残してくれた。

彼が大変シンプルな人間であることはもう話したけど、彼の母親は伝統あるサッカーチームCSA(アラゴアーノ・スポーツ・センター)で洗濯をして働いていた。それで彼はいつもサッカーのそばで育ったわけだ。リオに出てきてフラメンゴに入り、また別の現実と出会うことになる。そして初めて海外遠征にも行けることになった。その機会は私も含めて選手達全員の胸をときめかせていた。

1981年、東京で忘れられないトヨタカップ勝利をする前のことだった。ペウーと共に私達はイタリアへ遠征してアベリーノとナポリとの二つの試合を行った。どちらも圧勝して、始めはアベリーノに5対1で勝ち、私が1点取り、二試合目はナポリにやはり5対0と勝って私は3点取った。

その際に私達は休暇の機会に恵まれ、チーム全員で観光に出かけた。船で天国のようなカプリ島へ渡った。そこはなんともいえないくらい景色が良く、岩があり、クリスタルの様な水、その他珍しいものばかりで自然がとても素晴らしい所だった。ペウーは総てに目を奪われていた。私達も同様だった。最もみんなが驚きの目で見たのはその地域に生息するエキゾチックな何種類もの魚であった。

透明の巨大な水槽がある水族館で、私達はその変わった魚の種類やその細かな特徴など見ることができた。他の世界ではなかなか見られない珍しい魚で、正直初めてのことばかりで大変興味がある観光だった。ある魚は目玉が馬鹿でかくて、他のは反対に遠慮がちに小さな目をしていたりした。またそれぞれがとてもカラフルであった。みんなが私達の視線を浴びて泳いでいた。

そんな時、口を開いて見ていたペウーが、群と離れている一匹の、我々の方に近寄って来る魚を指差した。その魚は青と黄色と銀色だった。それだけじゃないのだ、その魚は何故だか輝いているみたいだった。

みんなは暫く見とれていたが、ペウーが突然言った;

『みんな、なんだよあれは。あの魚は何か問題あるぜ。あいつはなんか電球が光るように体が光るけど、もしかしたらコンセントに繋がれているのかな・・・・。』

みんなはペウーの驚いた言葉を聞いていた。それはまた我々が何かを企むのに十分な反応だった。即座に誰かがそのアラゴアーノ(ペウー)を刺すように答えた;

『おい、ペウー、君はわかっていないなあ。その魚は乾電池で動いているんだよ、本物ではないのさ。』

ペウーは納得したように答えた;

『ああ、そうか・・・それなら分かる。・・・だけどあっちこっち動き回る小魚の乾電池を彼らはどうやって取り替えるのだろう??。』

全員の爆笑を引き起こし、話は終わった。やはりペウーにはかなわない・・・・・

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