ジーコの部屋

Pedi, mas nem tanto 要求したけど、そこまでは・・・

今年も日本サッカー界では伝統ある大会を開催する時期になった。私の日本との関係を取り持つ中の一つであるキリン・カップの事である。ここ数年日本代表は年間に振り分けられた幾つかの試合をしているが、その中の一つにこの大会がある。今月、我々はセルビアモンテネグロ代表とスロバキア代表との試合を控えている。

時間を88年まで戻すことにしよう。フラメンゴがキリン・カップを戦った年だ。東京と広島で試合をしたが、その中で面白い話を思い出す。その内の一つはドイツのバイアー・レバークーセンとの試合での事だった。我々はタイトルを取ったが、試合はとても白熱し厳しい内容のものだった。

ドイツ人チームとの戦いのも終盤になった頃だった。相手はマークを厳しく我々のチームに行なっていた。その中でも何とか1-0と先制する事が出来た。その後、私は味方のゴールキーパー、カンタレーリ(現日本代表 GK コーチ)と相談してボールが GK の手元に来たら即カウンターを仕掛けるようにした。彼はボールを手にすると狙いを定めて私の方向に蹴るだけだった・・・・・

私をマークしているドイツ人はスペースを与えてくれず、なかなか攻撃が作れない。だが、フェイントをしてダッシュすれば勝算がある事は解かっていた。それで時には意表を衝いたりしてそうした局面を繰り返した。一度目、カンタは蹴って、ボールは私の足元に落ちた。我々の攻撃開始である。二度目も同じ事が。そうして攻撃を作っていた。

試合がいよいよ終盤になった頃、私は中盤の位置からカンタに怒鳴った。

「カンタ、前に出せ、前に出していいよ僕が走るから!!」

キーパーは親指を立て試合は続く。バイアー・レバークーゼンは決死の覚悟で攻撃を仕掛けている。ボールがカンタの手に渡る。彼はエリア内を素早く走ると爆弾を前方に放った。 本当に前の方だった!ロング・キックもいいところだ。私は、ドイツ人を振りきると、ボールに向かって死に物狂いで走りだした・・・・・が、途中で止まらざるを得なかった。

完璧に肉離れを起こしてしまい、帰国後のリオ州選手権決勝にも出られなくなってしまった。

試合後の更衣室。カンタが近寄って話し掛けた。私は怒っていた。

「ジーコ、どうしたんだ?君はボールを前に出せって、走るから出せって言わなかったかい?」

怪我をして面白くもないけど、返事をした; 

「解かっているよ、カンタ。確かに要求したのは解かっている。だけど、あんなに鵜呑みする事も無いじゃないかよ!僕はもうリオ州選手権決勝にも出れなくなったよ。君は前に出し過ぎだよ!」

このエピソードの後、私は良くカンタとこの話を持ち出してはからかう。彼が私をリオ州選手権決勝に出れなくした張本人だってね!

 

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