ジーコの部屋

O Desafio do Pais  パイースの挑戦

先週、私はアメーリカの100周年について触れた。この伝統的なチームで思い出すのはラマルチーネ・バーボの事だ。情熱的な彼は主なサッカーチームの歌を幾つも作り、その中には"応援しなくちゃ、応援しなくちゃ・・・"と言うのもある。ここでは君だけにこっそりと面白い話を載せようと思う。

ある土曜日の午後のマラカナン、フラメンゴとアメーリカの試合を観る為の人々でスタジアムは満席だった。まだ70年代の半ばだったが、サポーター達の熱狂的な鼓動はピッチにいる我々にも浸透していた。かなり接戦したが、ゴールは生まれなかった。試合のバロメーターはかなり上がっていたが、ふと私にペナルテイエリアの入り口でフリーキックのチャンスが訪れた。アメーリカのキーパー、パイースは私の事を良く知っていた。下部組織であるジュヴェニールの頃対戦した事があった。彼は壁を作り、私は彼がその壁から少し横にずれて位置を取るだろうと思った。だが、パイースは動かず私のキックをもろにキャッチした。

後ろにはフラメンゴのサポーターがいて、そのためかキーパーはそちらの方を振り向き両腕を広げて、さも綺麗にゴールを決めたみたいなジェスチャーをした、つまり私がするべきだったポーズをだ。私は彼に対し、怒りを感じたが、最終的に我々が1対0で勝った。パイースに振り向いて私は言った。

「フラメンゴとアメーリカはまだ終わっていない。新たな試合ではお返ししてやるよ」

パイースは無言だった。

あの試合以来、私のフリーキックの精度を磨く練習は倍増した。ボールを蹴る時のインセンチブは他の誰よりも強かった。パイースとまた戦いたい、もちろんそれはボールを介しての事だが、気持ちは募っていた。その機会はそう遅くなく訪れた。選手権の1試合目で再度フラメンゴとアメーリカの試合になった。反対側には再びパイースがいて、私は黙っていた。

我々はヘイナウドの1点で1-0とし、マラカナンの新しくなった電光掲示板に表示され、その後また1点追加した。だが、私のチャンスはまだ起きていなかった。後半の30何分かの時、エリアの外でボールを置くフリーキックの時が来た。私はパイースなど見もせず、集中していた。待ち焦がれたチャンスだからだ。奥にはフラメンゴのサポーターがいた。危険な局面の緊張感が漲っていた。私は確信を持ってキックしゴールを決め3対0。私とパイースとの間では引き分けだ。だが私は勝ちたかった。

中盤でボールを取った我々は速攻のパスを繋いだ時、再度ほぼ同じ位置で反則を受けた。電光掲示板にはまだ私の名前と3点目のゴールの事が示されているくらいだった。私は練習でしていた事を繰り返した。確信を持って蹴るだけだった。パイースにはチャンスも与えず、ゴールを決めた。

その試合は4対0で勝ったが、私はその前の試合の時パイースがした事が喉に引っかかっていたので彼に言った。アメーリカのキーパーは聞くしかなかった。

「私はまた新たに出会うって言ったよね。そう言うことさ・・。」

未だに友情関係は保っているけど、私の中には二つの教訓が残っている;一つには私達は限界を超える能力があること。特に挑戦を受けた時、目標を超える為何かをしなければいけない事に対する力を普通よりも得られること。二つ目はこのパイースはあの日自分がしたことは何なのかを一番感じているはずだ。それは決して相手を挑発してはいけないこと。真剣に闘うことで、決して相手を軽く見てはいけない、と言う事。



2004.9.29

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