ジーコの部屋

Marcador chato しつこい相手

私がプレーしてきた試合の多くで自分のプレーに対して厳しいマークをされる事が多かった。フラメンゴでも、ウデイネーゼでも、鹿島でも、そしてブラジル代表でも試合のときはそうだった。それに対して苛ついてもしょうがない事だった。そうさせる事が相手の目的であるからだ。その中で何人かマークのうまい選手と対戦してきた。中でもうまかったのはピンチーニョという選手と親友でもあるゼ・マリオであった。それに対して私はそのマークをはずすよう努力し続けた。通常、彼等は自分のチームがボールを持っているときには普通にプレーしていた。

そのような中で一度本当に頭にきて爆発しそうになった事がある。それはドイツの選手で彼は試合の事などどうでもよく、私の事だけ考えているようだった。その試合は1988年日本でのキリンカップの決勝、フラメンゴとレバークーゼンとの対戦だった。相手チームの監督は、一人の選手を特別に私にだけマークさせた。笑い話になるくらい、更衣室やトイレに行くときまでもついてきそうな勢いだった。

ボールをフラメンゴがキープしているときには、彼は私にくっついてボールを受けさせないようにしていた。だが、ボールがレバークーゼンにある時にさえ、その相手は私にくっついていた。何の為にだかは解らない!!試合中彼はいつ何時も私を離さなかった。タッチラインで私が水を飲むときもついてきた。私がパスを受けようとしたものなら彼は私を倒した。私はその相手を睨みつけたが、相手はドイツ人特有の冷たい目を向けるだけだった。その視線は私が苛立つ事などどうでもよく、自分は指示された事を忠実に守っているだけだと言っているようだった。

その決勝戦では1点を入れて最終的にはタイトルを手にする事が出来た。しかし、そのドイツ人にはかなり苛立った。試合中に何度となく倒され、何度目かの中盤で相手が反則を犯した時、私は怒り狂って立ち上がるとボールを手に取りドイツ人にポルトガル語でまくし立てた。

"この私の手にある物をみてくれよ。ボールだよ、ボール!!これはサッカーをやるためのものだ。そしてここにあるのは足というものだ、足!!足でボールを蹴るんだ。良く聞いてくれ。だからサッカーをしようよ。僕から離れてくれよ!!"

それでもドイツ人は自分たちのチームがボールを持っていても私の近くに寄っていた。私は本当に頭にきていた。

"ボールはあっちだよ、あっちに行ってよ。そっちのチームは向こうに攻めているんだよ。私から離れてサッカーをしようよ、ドイツ人"

ドイツ人は怒っている私を見てもお構いなしだった。それもそのはず。冷淡である上に私の言う事など全く理解できないのだから。この事はしつこいマークから離れられる唯一の場所である更衣室で笑い話となった。あの頃レバークーゼンでプレーしていたブラジル人選手のチッタが試合後に我々の更衣室を訪れて質問した。
"ジーコ、彼と何をはなしていたんだ?彼はドイツ人なのに?"
それは知っているよと返事をしたが、ドイツ語を話せない私としては、身振り手振りを加えたポルトガル語を使って言うしかなかった。仲間たちは笑い転げ、私も落ちついてみたらおかしくなって笑ってしまった。恐らく私がピッチの中でドイツ人に話していた事が周りから見ると大変こっけいに見えたのだろう。

あの出来事をドイツ人はどう受け止めていたのか想像してみた。恐らく彼は更衣室に戻り監督に私の事をおかしな奴でボールと足を指差して自分を遠ざけようとしていたなどと話していたことだろう。まあ、大事な事は試合に勝った事、そして少なくともあのしつこい相手から自由の身になれたことだ。あの選手の名前は覚えていないが知りたくもない。

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