ジーコの部屋

Interpretando demais やり過ぎの通訳

私が知っている鈴木国広は日本人の中でも最もブラジル人に近い人物である。たまたま二つの言葉の通訳になった訳ではない。私とは鹿島にいた時に殆んど共に仕事をしていた。そして現在も日本代表で一緒に働いている。鈴木はリオデジャネイロのサンクリストヴァンに一時滞在した事もあり、ポルトガル語を普通に話す事が出来る。その時の試練はマラカナン・スタジアムに入った時に強いられた。

鈴木は“世界最大のスタジアム”を知りたくて、また、それ以上にフラメンゴが試合するのを見たい一心であった。フラメンゴのチームに共感し、また私のファンでもあったと話す。一人でフラメンゴの背番号10のシャツを着て苦労しながら身振り手振りで入場券を手に入れてスタジアムに入った。だが、野次馬の何人かはふざけて対戦相手である反対側の観客席を教えた。そんな状況を想像出来るかい? 冗談じゃないよ!赤と黒のシャツを着て何も知らない鈴木は悠々と通路を上りトンネルを抜け、バスコ・サポーターの方に向かって行った。

当然、バスコ・サポーター達は色んな罵声を彼に浴びせた。まだ助かったのは彼が日本人であり、何をしているのか解からなかったという事である。本当に彼は運が良かった。だけど、サポーター達の殺気立った反応には相当驚いたようである。そしてこの様な状況を乗り越えて言葉を自分の物にし、ブラジル文化を知って異国とも馴れ親しんでいった。昔は私のファンだったのが仕事の同僚となり、今ではアミーゴと呼ぶ付き合いに発展した。

鈴木はピッチで私の影武者である。私の話は彼によって繰り返され代表選手たちに伝わり、ポルトガル語で何を言っているかを理解させている。私も少しは日本語を話すことが出来るが、日本での私の声は鈴木である。しかし、私の言う事すべてを訳すうちに彼が主役になってしまった面白い話がある。

2003年の4月、ソウルで韓国に勝った試合の前夜のこと。私達は合同記者会見の場所にいた。私は試合に出場する選手リストを手に持ち、横には鈴木が座っていた。彼は私の言葉を注意しながら繰り返しポルトガル語から日本語に訳していた。そして最後に私は一人ずつ最後まで出場選手名を読み上げた。読み終わった時私は驚いた。名前なので訳す事はないはずなのだが、鈴木が自動的にまたリストを繰り返し伝えたのだ。あの時はほんとにビックリしたね。

彼を見て私は言った;

「鈴木、私の発音はほんとに悪いんだな。だって日本人の名前すら出来ないものなあ!!」

鈴木は頭を掻いて、リストを読み上げてからにんまりと笑った。 そうなんだ彼はそ知らぬ顔で通訳しなくても良かったものまでを通訳してたのだ。後で大笑いした。あの日以来私がリストを読む度に、鈴木はこちらをチラッと見てはニャリとしている・・・・・・・・

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