ジーコの部屋

Festa em Fortaleza フォルタレーザでパーティー

このコーナーでは既にフラメンゴのマネージャーだったドミンゴ・ボスコのことを取り上げた事がある。仕事が出来るプロフェッショナルで選手達が勝利を取り行くためにはどんな事でもした。ボスコは臨機応変に処理する能力を持ち、選手達をうまく扱う特殊な接し方をしていた。ひょっとしたらそういうことがあったから、おもしろい話の主役になっていたのかも知れないと私は思う。1982年の出来事もそうだった。それはフォルタレーザへ遠征に行ってフェホビアーリオと試合をした後の事だった。  

“フェヒーン”(フェホビアーリオのこと)はセアラー州でも伝統的なチームだったから試合は難しいものだった。しかし水曜の夜、私達は2対1で勝利した。スタジアムを出たのは遅くなり既に12時に近かった。それでも友人、作詞家でもあり歌手でもあるハイムンド・ファグネルの家を私達は訪れた。

賑やかなパーティーになった。音楽の質も最高だ。ファグネルはいつもの様にギターを抱えて歌い、私達もそれに合わせて遊び、雰囲気は盛り上がって最高だった。時間は経ち、少しずつ人数も減ってきた頃にはもう明け方だった。私達がリオへ帰る時間は午前7時に決められていた。  

早朝、6時頃にはボスコはもう起きてホテルの出口の所に立っていた。送りのバスも来ていた。だが選手達は誰も下に降りてこない。そりゃそうだ、部屋は殆ど誰も居ない状態なのだから。

機嫌が悪くボスコは独り言が止まらなかった。彼はいつも無責任という事を嫌っていた。チームが飛行機に乗り遅れることまで心配していた。我々のボスコは顔を赤とんがらしみたいにして何時爆発しても良い状態になっていた。その時から誰かが帰って来るたびに毒蛇ならぬ毒舌を放った。

若手の選手が一番その被害を蒙っていた。選手達はそうして帰ってきて、その度にボスコは怒鳴りつけながら受け付けていた。10分以上も経つと、遅れて来る奴ほどますます状況を悪化させて行った。

その内太鼓の音が聞えて来た。サンバのリズムに賑やかな歌声を混ぜて・・・首を回して見ると、誰が帰って来たのだ? ジュニオル、アジーリオ、アンドラーデ・・チッタに私が・・・ファグネルのパーティーを街角まで引きずってホテルまで来てしまった。ボスコの反応は素晴らしいものだったね。ホテルの従業員達は皆不思議な??顔で見ていた。ボスコは両手を広げてにっこり笑って言った; 

「おお、私の名選手達よ!なんと美しい!なんというまとまった姿だ!だからフラメンゴは感動させてくれる!私も幸せだ!」 

ホテルのロビーに笑いが広がった。私達の遅れた到着はそれで解消された。 

「随分朝早く着いたじゃないか!」

これがあのドミンゴ・ボスコだった。しかし、彼の暖かい反応があったにも関わらず、私達は優遇されなかった。私達は飛行機の出発時間30分前に空港に着いた。ホテルは空港から3分のところだったからね。荷物が無ければ歩いてもよいくらいだったよ。実際には試合の後全員が解放されて、翌朝空港集合になっていたのだから、パーティーに行って来たとしても、フロントが決めた通りの事をしていただけなのである。あのフラメンゴは凄く規律が良かったからこそフロントも尊重してくれていたのだ。試合では結果を出していたし、祭りごとがあるとすればいつも試合が終わってからの事だった。一度も試合などに影響を及ぼす事は無かった。

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