ジーコの部屋

A paixao da massa サポーターの情熱

最近のサッカー選手の中には"サポーターが自分に対して思っていること"に無関心である者が数多く存在するようになってしまった。一つ一つのゴール、一つ一つのチームの勝利がどれほどたくさんのサポーターたちの心を騒がせているのかということを理解しない選手が増えてきているのだ。

子供の頃、私はマラカナン・スタジアムに通ってフラメンゴの試合に一喜一憂していた。我慢したり喜んだりしながら憧れのジーダを見ていたものだった。そしてある日から、私はスパイクを履いて芝生の上に立つようになる。赤黒のユニホームを着て選手としてサポーターの叫びをグラウンドで聞くようになったのだ。私自身がサポーターでありながら、同時にあのユニホームを着ることは、言葉にするのが不可能なくらいの誇りだった。フラメンゴのユニホームを着ることは私自身を心から満足させてくれた。

長いサッカー人生の中で、数え切れないほどのサポーターからいろいろなかたちの応援をしていただいた。80年代の遠征時にはブラジル国内の人々が何としてもフラメンゴの試合を直接見たいと必死になっている光景を何度も見たし、国内に散らばるルーブロ・ネーグラ連合(フラメンゴの応援団)の力を肌に感じたものだった。彼らの応援に感激したことを何度も覚えている。

いつだったか、バイーア州南部ココナッツの生産地でも有名なイタブーナという町にフラメンゴが遠征した時のこと。地元の混合チームとの親善試合だったのだが、それでも町中が大騒ぎになるほどだった。遠征時にはオープンカーでパレードさせられることが多かったのだが、イタブーナでもそうだった。街中が暖かい雰囲気で向かえてくれたのだが、飛行場に着いた時にはもう"ホテルまでの道のりが大変だ"と感じていた。飛行場からホテルまではほんの3キロほどの距離なのだが、道路中にサポーター達が入り込み、非常に危険な状態となってしまっていた。バスでそこを通リ抜けるのに何と2時間もかかった。1分間に25メートルほどしか進んでいない計算だ。たくさんのサポーターたちが声援をあげ旗を振りながら道路を一緒に進む、その中を我々はゆっくり行くしかなかった。

バスの窓から狂喜しているサポーターたちを見ていると、一人の若者が泣きじゃくっているのが見えた。その泣き方がただごとではない様子だったことが私の気を引いた。私だけでなく他の選手たちも気付いたようだった。彼は泣きながら自転車に乗って、我々について来る。私はバスが一時停止した時に彼に声を掛けバスの中に乗せてあげることにした。この無名のサポーターは泣きじゃくりながら「自転車に乗って仕事をしていたのだが、フラメンゴが通りかかったので無我夢中でついて来てしまった」と言う。彼は熱狂的なルーブロ・ネーグラで、バスに乗せられても、自分が今どこで何をしているのか訳がわからないようだった。興奮して何も他のことが考えられず、夢見心地な時間を満喫しているようだ。ほんの短い間だとしても名前も知らないサポーターが私たち選手の一部となったのだ。彼はあの時のことを絶対忘れないだろう。私たちはホテルに着く前に、彼が置いてきた仕事や自転車のことを聞いた。すると彼は言った。「ああ、そんなこと、今は大切じゃないよ。仕事や自転車なんてほうっておいていい!他のこともほうっておいていいんだ!大切なのは今僕が心のチーム、フラメンゴと一緒にいるってことさ!僕の命はフラメンゴなんだ!」

サポーターたちはチームへの情熱のために生活を二の次にしてしまうことすらある。こういった話が選手たちの心を打つのは当然のことであるはずが。こういったサポーターたちの応援はいつも私にユニホームを着てフィールドに立つ者の責任と自覚を持たせてくれた。フラメンゴのサポーターの力は本当に感動的なものだった。

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