ジーコの部屋

Vira-vira salvador! 逆転の救い主

1981年はフラメンゴのマジックの年だった。その年の締めくくりはクラブの歴史上もっとも貴重なタイトルを制覇したことだ。世界クラブ選手権・トヨタカップを東京で獲得したのだ。だが、以外と多くの人達はそれで年が終わったのではない事を知らない。少し休んだだけで、1982年度への準備に入らねばならなかったのだ。今週はそんな話をしよう。

12月に決戦があって、優勝気分に浸るのとその疲れもすっかり取れるのもつかの間だった。82年度のブラジル選手権は直ぐそこに来ており、それにまだ合宿もあったのだ。開幕まで、我々は充分な準備をするチャンスなど当然無かった。試合の2日前の確か金曜日だったと思うが、テレビの特別番組で現在ジョルジ・ベンジョール、元ジョルジ・ベンとの収録が行なわれた。大のフラメンゴファンで我々のためにも情熱を込めて幾つもの歌を作ったジョルジはチーム全員が番組に参加して欲しいと依頼した。

さて、フロントは許可を出して、バスで合宿所からリオ市内のスタジオへ行った。収録は失敗しては繰り返しの連続で、それはよくテレビなどではあることだ。結果、帰ったのは午前2時!番組収録が終わってからの事! 日曜日にはサンパウロFCとの試合が控えていた。ブラジル選手権の初戦で相手はまとまったチームだった。

我々はもう何日実戦をしていないかぐらいは解っていた。マラカナンで試合は始まった。客席は満席状態である。多くのサポーターの前での初戦、我々は毎時10kmで相手のサンパウロは100kmだった。最初の45分でサンパウロのチームは2―0とリードしていた。これは初戦として良くない状況だ。我々のチームに相応しくない規律不順の空気が漂っている。ロッカールームで我々は結束した。

「みんな、この試合は負ける訳にはいかない。特にこんなとろいリズムだけは良くない。後半流れを変えるぞ!」

そこで後半、こんなに力があったのかと驚くほど戦った。決戦のごとく攻撃した。そしてゴールは生まれていった。1点・・・2点・・・最後には3点になっていた。マラカナンは観衆が飛び跳ねる勢いで揺れ、我々は調子付いてショーを繰り広げ、3―2でサンパウロのチームに逆転した。最後の笛が鳴った瞬間に我々の背中から重荷が無くなった感じだった。

安堵の気持ちでロッカールームに戻る。疲れきっていた。だが、目的を果たしたと言う感慨があった。まだ座って呼吸を整えている時、ジョルジ・ベンが挨拶に入って来た。彼が入った時、誰かが考えている事を言わずにいられ無かったらしく、口を開いた。

「君はそこで楽しそうにしているね。だが、僕らがこの試合に負けて君の番組がボツになっていたらどうなるか考えてみたかい?明日にはとんでもない爆弾が新聞に載り、我々は死んでいるかもね!」

ジョルジは真に受けて一瞬驚いた。しばし静けさが通り過ぎたが、全員が笑いに落ちていった。最後には総て良しで終り、その後も我々は幾度か逆転劇を繰り返し勝利を重ねた。逆転の選手権とまで言われるようになった。しかし、あのサンパウロとの試合で逆転が起きていなかったらその後はどうなっていたかと、あの年最後まで我々の話題となっていた。  

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