ジーコの部屋

Treinando para a Copa カップに向けて練習

最後の水曜日にサッカーの天才とも言える一人、デイエゴ・マラドーナと一緒にサッカーを楽しむ事が出来た。あれだけ健康的に問題があった彼が回復したのを見て嬉しく感じた。試合前にもいろいろな話を沢山した。彼を自宅に招き夕食を共にした。昔話しが行ったり来たりして、現役時代には一度も一緒にプレーする機会が無かったにも係わらず盛り上がった。ある親善試合で同じチームになったが、その時でさえ前半と後半に入れ替わると言うことで同じピッチでプレーが出来なかったのだ。

私はそこでイタリアにいた頃、1985年だったが、私がウジネーゼで彼がナポリにいて試合をした事を思い出した。今週はその話題をしようと思う。

ウジネーゼはあまり目立たない堅実なチームだった。84-85年のシーズンは個人的にも困難な時だった。チーム事態もシーズンのほぼ始りから終わりまで降格ゾーンに出入りしていつも首に縄が掛かった状態だった。しかしそんな状況もシーズンの終盤、何試合かでやっと逃れることが出来た。最後の試合は我々のホームだった。降格の危険から逃れた直後で、まさにナポリが相手だった。

イタリアでも日本でもそうだが、シーズン最後の試合でそれもホームとなればサポーターも盛り上がるのは当然で伝統的なこと。ピッチでは強敵を相手に我々は調子良く行って2-1でそれも逆転して持ち込むことが出来た。マラドーナはその時点でもう1点取っていた。いつもの天才的な能力を発揮してフリーキックで見事先制点を挙げたのだった。試合は終了近くなり、その時問題が発生した。 

我々のエリアにクロスボールが上がった時、ベルトーニがオフサイドの位置でヘデイングしたが、バーに当たりオフサイドの場所に跳ね返った。マラドーナはその時ほとんどポストにくっ付いた位置にいたが、バレーボールのようにそのボールをハンドしてゴールの中に放り込んでしまった。我々のキーパーはもちろんオフサイドかハンドの判定をレフェリーがするだろうと、動きもしなかった。どっちかを選ぶだけの話だった。全員がそう思っていたのだが、ところがレフェリーであるピランドラがゴールを有効であるジャッジを取った。どう見たってそんな事はない状況なのだ。 とたんにブーイングが飛び交い、イタリア南部で使われる言葉で相手を攻撃する「コムット」と言う言葉まで私は放った。

結果は引分けになり、私は4試合出場停止のペナルテイーを食らった。しかしこの時のペナルティーはフラメンゴに戻ってしまったので全部消化せずに終わった。そこで今回マラドーナに会ったのでそれを思いだし、その件とあの有名な対イギリス戦のハンドゴールの事も話題にした。

「デイエゴ、あれは練習だったの?」

彼は笑っていたが、私はまとめた。

「あの85年のウジネーゼに入れたゴールは翌年86年のカップへのハンドゴールの練習だったんだよ。君はあのボールをバレーボールと同じように扱った。それが上達して素早く入れてしまうまでになったんだ。」

もちろんその話題は、今となっては二人で笑い飛ばしたのは当然のこと。 

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