ジーコの部屋

Simbolos e festas  シンボルとお祭り  

ブラジルでのこの日曜日はイースターの日。実際はイエス・キリストの復活を意味するものであるが、今日この頃では多くの人々にとって商業的なお祭りとなってきている。宗教から生まれた祝日は時間が経つにつれて大衆の象徴と化してきた。復活を代替した象徴としてまず卵が現れた。卵をもっと美味しいものにするためにそれはチョコレートで作られるようになった。そして兎が繁殖を意味する代理として現れる。そう・・生まれる、と言う事に関して考えるならこの動物は巨大な繁殖力を持っている。

こうした興味深い事柄が、キンチーノで過ごした私の幼年時代を思い出させてくれるのだ。どの人もこの様なお祭りごとが記憶に残っているものだろう。イースターの兎も子供心に焼き付いてはいるが、しかしサンタクロースには遠く及ばない。12月25日のお祭りはクリスチャンであれ、何であれ、伝統的に子供達の想像を無限に掻き立てるものである。プレゼント、教会の鐘、サンタクロースのソリ、その他いろいろ・・・。 

私達が子供の頃、たくさんの子供達の欲しいものを袋いっぱいに詰め込んでこの広い世界を一晩で回るサンタクロースの存在を疑う余地も無かった。私自身この様な時期を過ごして来た。今週はイースターに纏わるシンボルを思い出し、クリスマスで起きた出来事を書いてみようと思う。

毎年のように私は窓に靴下をぶら下げてサンタクロースにサッカーゲームに使うボタンを持ってきてくれるように願っていた。神のお陰で、父、アントウーネスは生活に苦労しながらも私達兄弟にクリスマスプレゼントを与えてくれた。いつも違うチームのボタンを貰うたびに私の選手権ではフラメンゴがいつも勝っていた。サンタクロースなんていない、などと言う内緒話がその辺をうろついていたが、私にはどうでも良かった。そんな話題で花咲いている所から私は密かに立ち去ったものだ。 

9歳頃だったと思う。クリスマスの夜、いつもより早く寝た事を覚えている。世界中のたくさんの子供達と同じように年老いたサンタが通り過ぎるのをうきうきして待っていた。新しいボタンを靴下の中から集める事を楽しみにしていた。いつしか眠ってしまい、ふと何かの物音で眼を覚ました。鐘の音でもない、そりが滑る音でもない、トナカイが走る音でもなかった。誰かが転んだような物音がして、「アイ、イテテ、ウウーイ」と言う声が聞こえた。だが、ベッドから出ずに朝を待った。

翌朝、クリスマスツリーに下げられた靴下があって、手紙に書いて頼んだ新しいゲームボタンが入っていた。その時兄たちが居間で笑いながら大声で話しているのを聞いた。

「ヒエー、今年のサンタは苦労したぜ。ここで、もろに転んで行ったようだ!」

私は変な話をしているなと思ったが、あまり気にもせずに過ごした。その後暫くしてから、あの夜靴下にプレゼントを入れた後、転んでいたのは父であったことを知った。その時始めて父、アントウーネスがサンタクロースだった事を知ったのだった。少なくとも私達のサンタだ。想像していた偶像が崩れてしまった瞬間だ。しかし、そのマジックを同じように自分の子供達にもして来た。25日クリスマスの私の思い出は、私達のサンタが転んでしまった事、そして家族はそれを許さなかった事だ。

サンタから兎、これらのお祭りの裏にはいつも大きな愛情が通っていた事が思い出される。

皆さんにもおめでたいイースターをお贈りしたい。

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