ジーコの部屋

Rotina Oriental - Parte II 東洋の習慣-パートII

前回は静岡でのおどろきの早朝のラジオ体操の話をした。早朝15分間の運動の為に起きて又寝込むのは1992年のことだった。当時、住友金属時代で奇妙に思っていたのはそれだけでは無い。あの遠征で初めて大会に行き、面白い事に出くわしていた事態は現在の日本ではもうあまり見かけなくなった。 

話をする前にはっきりしておきたい事は、自分は日本文化を全て尊重していることです。日本に来てからはそれらをいつも理解するように努め、いくつかは日々順応して行った。例えば食事は大変軽く(油っこくない)健康的であることなど。 

ところがこの食事に関して起きたことが今週のテーマである。静岡での試合前日の昼食時間である。練習を終え、ホテルに戻ってシャワーを浴びて私は食堂へ向かった。他の選手たちより5分ぐらい遅れていたと思う。レストランに入ったとたん驚いた。全員がもう立って出て行こうとしているではないか。仲間でもあり通訳もしてくれるミルトン・クルスが残った。 

「ん?彼らはみんな何処へ行っているのだいミルトン?彼らは昼食をしないのかい?」 ミルトンに聞いた。 

ミルトンは困ったように返答した。

「ジーコ、彼らはもう食べたよ。」 

私は解らなかった。“そんな事があるのか?僕は5分ほどしか遅れていないのに彼らはもう食べた?”。私は食事を見た。あの伝統的なラーメンだった。麺類が入ったスープのようなものだ。彼らは座って、麺類を吸い込むように飲み込んで出て行った。それこそ工場での昼食時間の様だった。 

「ここの習慣なんだ。彼らは食べるのが凄く早いんだよ」 ミルトンが説明してくれた。 

「それは解るけどよ、ミウトン、だけどこれではいけないよ。食器を取り、麺類を飲み込んでそれでおしまいか?そりゃ選手の食事とは言えないよ。」 と私は言った。 

この状況はサッカーに対するプロ意識が存在しないために起きている事の一つだった。選手達の行動は、普通に住友金属の職員がする事と同様であることが現実だった。食事の内容はサッカー選手が必要とするバランスの取れた栄養分を補給するには無理があった。それ以上に食事は落ち着いて食べなければいけない。 

現在では状況が変っているがあの頃はミルトンが私に付き合ってくれた。当時はブラジルで言えばフェイジョアーダを毎日食べられないのと同じことだった。麺類だってサッカーをしていく上では必要でありバランスよく食べなくてはいけない。私達のフェイジョアーダも鹿島で人気を得た。それもメニューに含まれている。その計算された食事は怪我を防ぎチームの体勢を整えるからだ。 

生活の中でいつも大事なことは味付け、バランスでありそれがサッカー選手としての目標を達成させる原動力となる。

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