ジーコの部屋

Rotina Oriental - Parte I 東洋の習慣 - パート I

このコラムでは私がブラジル、イタリア、日本のピッチの中や外で起きた事とか面白い話を伝えている場所である。そう言った出来事はもちろん私にとって楽しみでもあるし、懐かしいことでもある。中にはそうでもない事もあるけどね。今週のコラムではこうしたテーマで真新しいことではないが、東洋と西洋の文化的ショックが結構話題のネタになっている中での話をしよう。

ブラジル人と日本人の違いは大きいとは今更言う必要もないだろう。私がいつも日本人に対して敬意を払っているのは、規律を守る事と物事を発達させる能力に長けていることだ。特にそれはテクノロジーの世界で証明されている。一人の日本人のアイデアを何か天才的なものに変えて行く。その例はとても多い!

しかし規律に厳しいと言う点でも良い結果をもたらしている。そんな中にも社会の原則なのか奇妙な状況がしばしば起こりうる。初めてそういう事に遭遇したのは1991年に住友金属に来た時だ。住友金属と言えば鹿島に製鉄工場があり工業や商業企業がチームを編成してサッカーをやっていたころだ。現在の鹿島アントラーズの前身として生まれたチームだ。

ヤマハや本田のようにね。この二つの自動車企業は現在でもチームのスポンサーでいてくれている。当時のヤマハは現在ジュビロ磐田で、本田はプロ化を見送りJFLに属している。その三つと現在のジェフ、元古河電工、それにもうチームが無くなったがNKK、これらのチームが静岡に行きそこで行われたある大会を競った。私がプレーした日本で初めての大会であった。  

その大会の合宿一日目に私はとてつもない驚きを味わった。試合前に現地に到着して疲れを取るのは当然の事だ。私は心配なしに寝た。翌日が試合なので練習はなかった。フラメンゴ時代からのことだが、ひとつだけお願いしていたのは寝ている時には特別な理由が無い限り起こさないようにしてもらっていた。試合当日は自分の好きな時間に起きたかったのだ。それは選手にとってフィジカル的に回復する事が基本的に大事であるからだ。

だが、それは出来なかった。 

誰かがドアを叩いて起こして歩く時、私の時計は6時55分を示していた。ホテル内のあるサロンに向かってみんなゾロゾロ歩いて行く様子だった。私は半分寝たような状態で何の理由で集まったかも解らず他の選手らと合流した。 

・ ・・まだ朝7時なのに今日は試合だぜ。

・・・いったい何が起きているんだろう・・・

私は訳が解らず自問自答していた。

あまりにも寝ぼけ眼でいたので、当時通訳代わりをしていたミルトン・クルスと話すことさえ忘れていた。彼は選手だったが、彼が何か言うのを待っていた。

全員がサロンに集まって、コーチの一人が何か言ったらチームは何やら動き出して、操り人形みたいな動きをしたり、飛び跳ねてみたりとなんだか解らなかった。15分ぐらいそんなことをして終わったら全員が解放された。

私はリアクション無し・・・で、ミルトンに話しに行った。

「何だこりゃ?僕らは3回ほど跳ねて、7時15分だと言うのに又ベッドに潜り込むのかい?これは何を目的にしているんだ?」 と聞いた。 

ミルトン自身もなんだか良く解っていない様だったが、何でも“タイソウ”と呼ばれている工場などで行う運動だと言う。あの頃

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