ジーコの部屋

Rivalidade ao contrario ライバルを逆にすれば

ワールドカップ予選ではもちろん、ブラジルとアルゼンチンの試合はいつもライバル意識に包まれている。ボールが転がれば悪口や罵声、暴力沙汰の話しは少なくない。それはどちらかと言うと、双方の国のクラブ同士がぶつかる時に多い。だが、国の国旗がピッチでぶつかると更にけしかける性質を持っている。

不思議な事に、私はブラジル代表のイエローのシャツを着てアルゼンチンには負けた事がないのだ。全部で7試合した。だが、運命の皮肉なのか、私は選手歴の中であまりレッドカードを貰っていないにもかかわらず、アルゼンチン選手と戦うと退場を食らってしまうのだ。まったくおかしな事でそれが今回のテーマです。

始めにも言ったようにブラジルとアルゼンチンは常にライバル意識があった。70年代からこの二つの国は南米で常にサッカーにおいて大きな力を持っていた。

もちろんレフェリーはそれを知っていて、ピッチに入ると大変な注意を払って事件が起きない様にしていたが、それでも慌てた判断を多くしていた。

とにかく大げさなのである。これはウルグアイのロッケ・チット・セルージョ・レフェリーのケースだが、表面的には大変良かった。彼はリベルタドーレス杯の決勝であるフラメンゴ対コブレローラ戦をモンテビデオで仕切った。そしてセルージョの過剰な判断は、1979年の8月に行われたブラジル対アルゼンチン戦、コパ・アメリカ杯で起こった。あの頃のコッパアメリカは随分違っていた。各シーズンの間に行われていた。

アルゼンチンはセーザル・メノッテイが率いる強いチームを持っていた。我々はあの大会でまだボリビアを相手にしなければならなかった。私の記憶では、前の年にワールドカップを制したアルゼンチンには勢いがあった。もちろん試合となるとガチガチになる要素が大いに含まれていた。この日ブエノス・アイレスのモヌメンタル・デ・ヌネス・スタジアムは青白のサポーターが3万人近く詰め掛けていた。雰囲気は出来上がっていたね。

だが、事件はピッチの中にあった。我々は1-0で勝っていたのだ。相手のフリーキックが起きるまでね。我々の壁はエリアの中であり、私はその壁の端に立った。そこにいきなり相手ボランチのアメリコ・ガジェーゴが来て私にくっつこうとした。キーパーのレオンを惑わせようと壁の一部になったのだ。私はさせなかった。彼が来ると私は体で押しやった。また彼がしつこくくっ付いて来ると私は又押しやった。エリアの中でもみ合うのは普通である。私達は暴力的では無かった。だが、レフェリーはボールの位置の確認を時間稼ぎをしている中でチェックしていたが、エリア内でのもみ合いに対して不注意だった。ふと我々の方を見て彼は私たちが喧嘩しているように思ったらしい。

恐らく試合をコントロールする意図もあったのだろう、迷わず我々二人にレッドカードを示した。私は誤解を解こうと抗議した。アルゼンチン選手も同じだった。だが、レフェリーは特に退場を言い渡した後には引かないものだ。現実にそうだ。私とガジェーゴは何も解らない状態でピッチを出なければならなかった。

喧嘩していた?口論していた?全くしてないね。ロッケ・セルージョが間違っていた事を示すために私とガジェーゴは抱き合いながら手を繋いで出ていった。あまり見られない光景だった。特に今日ではね。それを見ていた周りが驚いていた。それが影響したのかは解らないが、試合は2対2の引分けに終わった。これがサッカーで起こる不思議な出来事だ・・・。

>一覧へもどる