ジーコの部屋

Qual e a nota? 点数はどれ?

いつでも最も待ち遠しいのは、先生がテスト用紙を返す時か成績表を手渡す時だ。教室にはあの動揺、心配と重苦しさが漂う。私が勉強したハイチ学校もリヴァダビア・コヘア学校でも他と違うところは無かった。

サッカーではそれが違った、テストというものは試合であり、点数とは選手権でのタイトルであった。正直言うと私はサッカーにはいつも成績表というものが無いと思っていた。だがあった、それはイタリアへ行ってプレイした時に見つけた。

ピッチに立っている時期と、そして今でもそれは続いているが、私はいつも報道関係との付き合いは大変良かったと思う。どんな職業にしても圧力や批評と共存することは生活の中で普通だと思い、そういう事への努力を上手く色々な条件に当てはめてやり遂げられた。だがイタリア、ウディネーゼでは私は83年~84年と84年~85年のシーズンに在職したが、その時少し違ったことを見た。ふと私は時間を後戻りしてリヴァダビア・コヘアで生徒等が成績表を待っているのを見た気がした・・・・・・ 

私が言いいたいとしているのが理解出来ていないかもしれないので、その説明をしよう。一つの試合が終わると選手達は新聞を読み、テレビやラジオのスポーツのお喋りから何が起きたかを知る。まあ、このぐらいは世界の何処でも同じような光景であろう。私自身そうであった。しかし、ウディネーゼでは試合後の月曜日で選手達の態度に驚いた。

更衣室内部は偉くテンションが高まっている雰囲気だった。皆が山のように新聞を抱えてその内の主なものを三つ読んでいる。そして各自の機嫌の良し悪しは記事の内容によって異なって行くのだ。そうだ、新聞の記事には例の成績表が載っているのだ。イタリア語ではそれを“ラ・パジェラ”と呼んでいた。7点、8,5点、4点・・・。 それは各選手がスポーツ界のベテラン達から採点された点数であった。

どうもおかしな感じであった。例えばフラメンゴでプレーしている時からして見れば不可解なことでもあった。

仲間の中には“ラ・パジェラ”を読んだ後、その低い点数のお陰で大変面白くなく、機嫌が悪くなったりする人がいた。他の“点数の高い”人は、その後の数試合は嬉しさ一杯で調子が良かったりする、我々の言う“成績表”で。 正直言って私はあの事はずっと理解出来ないでいる。2年あそこでプレーしたにも関わらずにね。

その中で一つ正しいことがある。

いつも自分の宿題は済ませていたことだ。つまり風紀を守り練習を沢山すること。これが基本であり、ちゃんと出来ていればテストに通りたい人は通れる。私が新聞の評価を気にして言っているのではない事は明白である。そう、タイトルへ向けて、また負けたとしても良い仕事が出来たと確信が持てる自覚から言えることなのです。

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