ジーコの部屋

Piriri em Campos カンポスでのピリピリ事件

1981年にフラメンゴが東京でのトヨタカップであのリヴァプールに勝利して世界チャンピオンになるまでには大変な難関を幾つも乗り越えてきた。それに比べればあの世界一を決める試合は楽だった。リベルタドーレス杯を競っている頃は本当に大変だった。南米チームは凄く暴力的でレフェリーとの癒着も多かった。サッカーの試合が本当の戦争になるぐらいのようだった。何度かは本物の武器が飛び出すぐらいだったが、その話は後に回して、どんな状態になっても常に決意を固め克服して来たのが私達のチームだった。

数々の勝利、リベルタドーレス杯での苦難、コブレロア、などなど、それらは多くの人達もよく知っている。あまり知られていないことの一つにトヨタカップを制覇する2年前の事がある。それはとてつもない苦しみを与えなお且つ大変危険な相手だった。もう少しで常勝軍団が敗れるところだったのだ。リベルタドーレスには影響は無かったが州選手権での試合だった。

1979年8月12日、日曜日の午後だった。カンポス・デ・ゴイタカーゼスという街へ出かけた。それは私達のフラメンゴのあるガベアから300キロメートルの距離だった。ゴイタカーゼスというチームと試合をするためだった。試合は午後だったので、いつもの習慣で早い昼食になった。正直何を食べたかは記憶に無い。何時間か後にはピッチに入らねばならないからそんなに重たいものとか違うものを食べたわけでないことは確かだ。

昼食を済ませてから暫くして胃に痛みを感じた。なにやら気分もすっきりしない。その内に他の仲間も同じような症状を訴えていた。自然にみんなの心配は広がり、どうも昼食で何か悪いものを食べたのではという事に集中した。しかしもう遅かった。チームの半分が試合までの時間が迫っているにも関わらず痛みを訴えた。集団下痢が起こっていたのだ。

監督は懐かしいクラウジオ・コウチーニョだったが、そんな状況の中で頭を掻きながらメンバーを決めた。ピッチに入ったのは;カンタレーリ、レアンドロ、マンギット、ネウソンにジュニオル、それからカルペジアニ、アジーリオ、私とチッタ、アタッカーにはクラウジオ・アダンとジュリオ・セーザル。殆どの選手が腹に痛みを抱えていた。試合が始まったが私も気分が悪かった。運良くチッタが21分に得点をしてくれ、私達のチームが優位にたった。

今になってみると笑ってしまうが、あの試合で全く異様な事が起きたのはハーフタイムになった時だ。前半45分終了ホイッスルをレフェリーが吹いたのに皆が走り出したのだ。選手のほとんどが一斉に更衣室へ向かってダッシュした。私も同じだったが、試合中よりも早く走っていたね。便所の扉に飛びつこうとしたが驚いた。腹を抱え青い顔をした選手達が列になっているではないか。集団的な下痢に陥り全員同時にピリピリ状態になり焦りまくっていた。試合で汗をかいていないのにシャツはびしょ濡れだった。その近くを通るスタジアムの従業員は解せない顔でいた。

私は下痢の圧力に耐えかねて途中で交代してもらった。ピッチからトイレに直行した。ヘイナウドが代わりに入ってくれた。チッタの得点はそのまま守られゴイタカースに1-0で勝つことが出来たフラメンゴだった。試合後もトイレの近くは渋滞していた! 大事なのはゴイタカースに勝ったのと下痢をも克服した事だ。あの試合は絶対忘れない・・・・・・・

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