ジーコの部屋

005 - Panico Hungaro ハンガリン・パニック

ヨーロッパの夏はサッカーの国際トーナメントで盛り上がる。特にスペインとフランスは凄い。ブラジルの多くのチームも6~7月はよくこのトーナメントに招待される事が多い。自分も最初のタイトル(フラメンゴでの)はスペインのカディスで行なわれるラモン・デ・カランザ杯だったと思う。確か1979年だった。その年はフラメンゴ、バルセロナ、地元のカディスとハンガリーのブタペストだった。フラメンゴの監督はクラウジオ・コウチーニョ。皆もしっての通り戦術家で相手のスカウティングの達人だった。自分達がピッチに入る時は相手の情報は全て入っている様な感じで凄かった。

対ハンガーリー戦も全く同様、奴等のカディス戦もしっかりスカウティング済だった。

ブタペストは運動量が多く速い選手で攻撃を組み立てるチーム。コウチーニョはごく単純な作戦をたてた。それはユニフォームの背番号をバラバラにし、いつもと違えて選手に着させたって訳。クラウジオ・アドゥはFWで普通は9番でやっていたけど、この時は2番をつけた。右サイドのトニーニョ・バイアーノは9番でDFをやった。

これにハンガリーはパニックになった。特にマークの混乱ぶりはこっけいなぐらいだった。そんな中、開始13秒で自分が1点決めた。このプレーはゲーム前に俺とジュニオール、カルペジアーニ、クラウヂオ・アドンで打ち合わせしていた展開だった。本当に最高だった。相手のDFはうちのサイドのトニーニョの後を追いまわしてるし、(FWのクラウヂオ・アドンと間違えて)中盤のアンドラーデを見る奴はアンギント(DF)についてるし。もろめちゃくちゃ。そんな中自分ががもう1点。先制の直後だった。よく考えてみるとハンガリーの選手にはうちの黒人選手はどれも同じに見えたと思う。彼等の活躍もあり結局2-0でトロフィーはフラメンゴヘ。翌年のヨーロッパチームも少しは注意してきたけど最終的には二連覇となった。

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