ジーコの部屋

Osmar no pre-olimpico オリンピック予選でのオズマール

1971年のオリンピック予選は色々な出来事があった。その中で記憶力の良い元ゴールキーパーで今は指導者となっているニエルセンもこのコラムに昔話を提供している。彼からの話は既に何回か載せているが、今回のはある意味悲劇になりそうな話だ。

我々がボゴタで大会の準備をしていた時のこと。泊まっていたホテルは小さくてエル・コメンダドールと言った。ホテルの前には公園があった。この公園が後でセレソンが来た記念と言う事で“ブラジル公園”と言われるようになった。あの頃は色んな事があった。その中の話の一つ。ある選手がホテルの横に住んでいた娘に惚れ込んで現在はその娘と結婚し二人の娘を授かり、リオデジャネイロに住んでいるのだ。凄くない!?

この時の話題として既にエネーアス、ルーベンス・ガラシェにアントニーニョ監督が挙げられたが今回は新しい人物を紹介しよう:オズマール。彼はボタフォゴのデフェンダーとして70年代から80年代に渡りプレーしてAセレソンにも1972年のミニ大会がブラジルで行われている時に召集された事がある。

オズマールも一風変わったところがあって、エネーアス同様面白い人柄だった。ボタフォゴではいつも仲間のニウソン・ジーアスと一緒だった。オズマールは運動靴をきちんと履かない癖があってチームは全員御そろいの服装の中、彼は運動靴をぞうりの様にかかとを潰して履いて歩いた。ホテルは質素でエレベーターは内側のドアが無いものだった。内側は直接に壁があるのだ。壁とエレベーターの乗り物との間を遮るものが無い状態だ。オズマールはエレベーターが動き出すとその壁に運動靴の先を当てる習慣があった。運動靴のゴムが壁との間で可笑しな音を立てているのを彼は子供の様に面白がって笑った。それを止めるように言う者は当然いたのだが、彼は聞く耳を待たずでそれを続けて楽しんだ。

ホテルで大会二日前のミーテイングがあって、翌日にはカリへ移動する事になった。このミーテイングの時のパレイラがルーベンス・ガラシェとエネーアスと退場させた話も前にした事がある。

地上階の会議室を出てエレベーターで上がろうとした時、5-6人しか乗れない小さな乗り物にオズマールがもう一人乗り込んできた。エレベーターが普段と同じように動き出すと、オズマールは又運動靴を壁にくっ付ける事にした。あの奇怪な音が始まり、エレベーターの中は抑えたような笑いが生じた。  

若者が何人も集まると大体何が起こるかは解る。必ず誰かが誰かをからかうことが出てくるものだ。突然誰かの叫びが聞こえエレベーターが速度を落とした。何が起きたのか、想像してもらいたい。そう、真さにオズマールの足がエレベーターと壁の間に挟まれたのだ。

最悪である。エレベーターは止まらない。オズマールの足が下へ引きずり込まれてゆく。断末魔での人間は凄い、オズマールは必死になって足を引っ張った・・・運動靴は壁とエレベーターの間に消えたが、足はなんとか抜けた。次の場面が凄い。

みんながオズマールの足を見ると、小指がちぎれそうになってぶら下がり血だらけになっている!!!全員パニック状態であった事を言う必要もない。助けようとしてドクターを呼んだ。当時ボタフォゴに在籍していたメンデル・ドクターがやって来た。ドクターはオズマールが廊下に横になっているのを見た時可笑しなことがあった。ぶら下がった指を見て普通なら心配するはずなのに、それもせずにそうなった状況を全て説明するだけに足りる言葉をドクターは放った:

「このオズマールはろくな事をしないな!!!」

その後のことは言う事も無い、オズマールは病院に担ぎ込まれ、骨折した小指の手術を施された。そのためにセレソンから外されてブラジルへ帰国、指導部は代わりに誰かを連れて来るように依頼した。代わりに呼ばれたのはアベル・ブラーガだった。彼は現在フルミネンセの監督をしている。 人生とはこんなものだ:誰かは災いに会い、誰かは幸運と出会う。・・・又の話をご期待。

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