ジーコの部屋

O gol que nao comemorei 喜べなかったゴール

ボールは頭か足から放たれてゴールネットを揺らす。あるスタジアムではネットが膨らみ、別のところでは跳ね返る。ボールは止まって観衆は立ち上がる。片方は歓喜し、片方は落ち込む。ゴールはマジックの時だ。サッカー選手の一番の目標、それは相手のゴールラインを征服する事だ。他の絶頂感と比較できないくらいゴールは本当に最高の時だ。

フラメンゴのユニホームを着て私はゴールを喜び現す事をあえてしていた。特にマラカナンでの試合、多くの人々が居る前で。決して相手を挑発する訳ではない、押し合いながら耐えそのゴールの瞬間を待っているサポーター席の前に走る。なんと言っても一番嬉しかったのは81年のリベルタドーレス戦での決勝でコブレロアと戦った時だ。マラカナンでは無かった。苦しい戦いだった。それを吐き出すように、私は飛び跳ね、身を震わせ爆発させた。

ある時、こうした話題になってふと、喜べなかったゴールが有ったのを思い出した。それは本当の事。自分のチームが負けている時でもゴールの感動は沸いていた。だが、あの時は単純に私は何もしなかった。私がしたくなかった訳ではない。今回はその話をちょっとコラムでしようと思う。 

81年はよく足にできものが出来た年だった。5個も6個も一度に幾つもできることがあった。セーリオ・コッテージャドクターが治療に当たるが悪化するばかり。それでもボカジュニアーズとの試合が迫っていた。マラドーナがいるチームだ。それもマラカナンでカルペジアーニの引退試合でもあった。彼はすぐ後に私達の監督になった。

試合がある週に入り、私の足はできものが痛くてたまらなかった。余りにも痛いので、アメリカのとの試合に出ないことにしてボカとの試合に備えた。できもののお陰で熱を出すまでに至った。 

さて、試合の日はやってきて私はピッチに入った。誰かが痛い部分にボールを当てないことを願っていた。だが、無慈悲な法則が存在するのか・・・。例えば腕を痛めているとする、友人たちは丁度その痛い部分を叩くものだ。肩だったら同じことだ。そんな感じで最初の攻撃になった局面でだ、ヌーネスと交差して彼が右からクロスしたボールをガッチより先に取ってシュートした。その時キーパーがまともに私の足を蹴った。蹴った場所が何処だか想像出来るかい?正にそこだよ。ボールはゴールの中に転がり込んだ。フラメンゴが1対0にした。だが私は幾つもの星が見えていた。痛いのなんのって、苦痛に耐えているところへ知らぬ仲間が抱きついてきたが、私はそれどころではなかった。

「いて、て、て、てー!!あいつはもろに痛いところに当てやがって・・・立てるなんてもんじゃないよ!!」 

私は地面にへばりついたままだ。喜びも飛び跳ねもしなかった。石みたいになっていた。ドクターがやってきて深呼吸をする。気迫で立ち上がりまたピッチに入って点を取った。2-0になった。その時は当然サポーターの前に走って大騒ぎをした。だが1点目は記録に残ったね。余りの痛さにあのゴールだけは祝うことが出来なかった。

 

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