ジーコの部屋

O Velho Antunes  父親アントウーネス

今週の日曜日は祝日で父の日である。私は残念ながら既に父アントウーネスを亡くしているので、本人に直接感謝の気持ちを伝えることは出来ない。しかしいつも私と一緒である事は理解している。彼と一緒に楽しく過した頃が記憶にある以上忘れる事は無い。

そういう記念すべき日ではあるが、そうは言ってもこのコラムの体質から逃れる訳にはいかない。父アントウーネスも時々面白い事をしていた。父アントウーネスはポルトガル人であった。その人達のほとんどがヴァスコかポルトゲーザのファンになるのが普通なのに何故かそうではなかった。ポルトガル、トンデーラ生まれで10歳の時にリオへやってきて選んだチームがフラメンゴだった。

面白いのはブラジルに来て初めて見た試合はアメーリカ対フラメンゴで、その時はアメーリカが4―1で大勝していた。父アントウーネスは結果などどうでも良く、とにかく赤と黒のチームが気に入りフラメンゴに決めた。それを説明するのは大して大きな理由は無い。

「私はポルトガル人じゃないよ。ルジターノだ。ポルトガル人は石鹸でヴァスコのサポーターだ。」 と言っていた。

彼は予見していたのか(ここが興味深い所だが)あの試合のフラメンゴ対アメーリカはその後、二人の息子がサッカー選手として活躍する事になる二つのチームだったのだ。全く偶然だろうか。 

私の父が昔ゴールキーパーだったと言う話に結構みんなまだ混同している。確かに父親はボールを取るのが上手だったが、あの頃プロ選手は職業として存在していなかったので、選手にはならなかった。そして生活する為に店の主人がポルトガル人だったあるパン屋に勤めていた。ある日、父親にフラメンゴからオファーがあった時、ポルトガル人の主人との間で大変な議論が起きたのは当然の事だった。父親はその時相当悩んだと思う。主人のマノエルさんはフラメンゴか仕事かの選択を押し付けた。父は毎月の安定した給料を選ぶ他無かった。 

偉大なアントウーネス。もう一つ面白いのは、父は息子たちの試合を見るのを避けていたらしい。なんでも息子たちが相手の選手から乱暴なプレーをされると我慢出来なくなるからだったという。ある時は、マドレイラとの試合で相手選手に飛びかかって行きそうだったそうだ。フラメンゴとのある試合でもとんでもない大喧嘩を起こす所だった。どちらの話しもエドウーがアメーリカでプレーしていた時の話だが、当時は試合が終わってしまうと後はバーに集まって敵味方が仲良くしていたのだ。その時だけの事だった。

疑問に思っていたのだが、父は大事な試合の時など、がっかりするのが嫌で試合を見ずに居眠りを装っていたらしい。だけど聞いたところによると、父は隠れてスタジアムに行っていたと言う。大衆に紛れて私やエドウーがピッチにいるのを見ていたと言う。うん、絶対に彼はそうしていたに違いない。 

父アントウーネスは彼なりに私達に責任感を伝授してくれた。彼の厳しさは私達が地雷を踏まずに歩める道を見つけるのに役立った。心配性だったが、私達を見守ってくれた。彼のお陰で私は今ここにいる。父の教訓を得ながら幾つもの障害を乗り越えて来た。私は彼を心に抱えている。 

ジョゼー・アントウーネス・コインブラ、1901年6月10日生まれ、トンデーラ生まれのポルトガル人、私の父親をここで祝そう。そして世界中の父親に私のアブラッソ(抱擁)を差し上げたい。私のように父親になって父親であると言う尊い感触を味わっている人たち、またそれをこれから味わう父親たちにもアブラッソ。世界のお父さん、おめでとう。

(解説:ルジターノはポルトガル人に対する一つのニックネーム。石鹸は、ブラジルには“ポルトガル石鹸”と言うのがあって、アントウーネスはからかう言葉に使っていた。)

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